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あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その2/3

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鉄血勤皇隊―沖縄諸島における戦争体験

沖縄に到着した翌日、わたしは沖縄タイムスの本社にて、沖縄タイムスの安里記者、当時少年兵だった安里祥徳さんと彼の親戚安里洋太郎さんから詳しいお話をうかがう機会を得たほか、彼と一緒にエンジェル島に送られた人々の連絡先をいただくことができました。

鉄血勤皇隊とは、さきの戦争時に、沖縄県内の旧制中学校や師範学校などに通っていた14~17歳の男子学生を中心に作られた組織です。未成年者を徴兵することはできなかったのですが、悪化した戦況などを理由に、いわゆる超法規的措置として特別に組織されたものでした。当時、およそ1,700人の沖縄の若者たちが鉄血勤皇隊として徴兵され、半数以上が悲劇の最期を遂げました。そのなかには、1990年代に沖縄県知事をつとめた社会学者の大田昌秀さんもいました。

戦時中は那覇一中(現在の沖縄県立首里高校)の学生だった安里祥徳さんは、親類の安里洋太郎さんとともに鉄血勤皇隊の一員で、通信隊に配属されました。

アメリカ軍の攻撃はすさまじく、沖縄戦がはじまると、沖縄本島北部があっという間にアメリカ軍に制圧されました。さらには、日本軍の救援に向かった戦艦大和がアメリカ軍によって撃沈されるなど、戦況は日本にとって非常に不利なものとなっていました。

アメリカ軍の使用していた武器は日本軍のそれとは大きく違い、非常に攻撃力の高いものでした。アメリカ兵が使用していた火炎放射器や、アメリカの軍艦による海上からの砲撃は、沖縄の人々にとっては大変な脅威でした。

鉄血勤皇隊の一員であった安里さんらは、戦況の悪化とともに、ほかの学生や軍人らとともに、那覇を脱出し、まだ制圧されていなかった沖縄本島南部(現在の沖縄県糸満市)に退去することになりました。

しかしながら、すでにいたるところにアメリカ兵が進出しており、南へ移動することは困難で、アメリカ兵の攻撃にあって多くの人々が命を落としました。さらに、すでに食料と水が底をついていたので、南部への退却は飢餓との戦いでもありました。活きのびるために必死になっていた安里さんらは、雨水、道端の雑草など、食べられそうなものは何でも口に入れました。

沖縄からエンジェル島へ

あともう少しのところで沖縄本島の南部にたどり着くそのとき、安里さんらはアメリカ兵に囲まれました。それは、「死を覚悟」する瞬間でもありました。しかしながら、彼らはその場で銃殺されることなく、アメリカ兵のトラックに乗せられ、屋嘉(現在の沖縄県金武町)に移動させられました。当時の屋嘉には、沖縄戦で捕虜となった日本人を収容する施設が設けられていました。

その後、安里さんをはじめ沖縄戦で捕虜となった人々は、屋嘉からアメリカ軍の船に乗せられました。彼らは船のなかの、薄暗く、衛生状態が非常に悪い貨物室のような大きな空間のなかに収容されました。1日に数回、監視のアメリカ兵が食べ物を持ってきましたが、そのやり方は、スープなどが入ったバケツをロープで結びつけ、貨物室の上からするりするりと落とすという、人間の尊厳を軽視したやり方でした。

およそ2週間ほどして、船はハワイ州ホノルルに着きました。安里さんたちがホノルルへついた頃、すでにホノルルには沖縄戦で捕虜となった沖縄の人々が収容されていました。そして、彼ら彼女らの姿をみたハワイの沖縄県系の日系人のなかには収容所のフェンスごしに、沖縄で捕虜となった人たちへ水や食料を提供した人々がいました。

ホノルルの収容所で数日過ごした後、安里さんたちは、再びアメリカ軍の船に乗せられました。その数日後、彼らはあのオオタさんのいたエンジェル島へと連れてこられました。皮肉なことに、安里さんらは、沖縄の人々も含めた、多くのアメリカへの移住者が足を踏みいれたエンジェル島へ「自由の身」ではなく、「囚われの身」として足を踏みいれることになりました。

エンジェル島では、安里さんらはアメリカ軍の監視を受けてはいたものの、ある程度の自由が許されていました。決まった時間になると食事が提供され、ほかの若者たちとスポーツに興じることも許されました。それは、つい先日までの沖縄戦での過酷な日々とは、まったく異なるものでした。ほんの少し前まで少年兵であった人々のなかには、戦争で悲惨になった沖縄を離れて、アメリカで暮らすことを望んだ人々もいたようです。

終戦となり、安里さんたちはアメリカ軍の船で、生まれ故郷の沖縄へ送りかえされることになりました。およそ3週間の船旅をへて、屋嘉の浜辺に着いた安里さんら鉄血勤皇隊の若者たちは、みずからの家族や親類のもとに戻りました。その後、安里さんはアメリカ留学を経て、沖縄で会社経営にたずさわるようになりました。

その3 >>

© 2013 Takamichi Go

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