ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2012/5/4/gwkimura/

全米日系人博物館・新館長 グレッグ・W・キムラ博士へのインタビュー

「遠く離れていた時も、博物館を常に身近に感じていました」 こう語るのは、この度、全米日系人博物館館長に就任したグレッグ・W・キムラ博士(G.W. Kimura)です。

2010年キップ・フルベック氏による博物館での特別展『Mixed: Portraits of Multicultural Kids』を訪れるキムラ博士一家

「私は、随分前から博物館のメンバーであり、その活動をサポートしてきました。少なくとも年に一度はロサンゼルス周辺に来ることがあり、その度に家族と一緒に博物館に立ち寄っていました。博物館を訪れることは、私にとって特別な意味があるんです。そうですね、巡礼のようなかんじでしょうか。このような美しい場所で、日系コミュニティの体験が語られている様子を目の前にすると、私は息を吹き返したような気持ちになります。私は、博物館を訪れる度に感動し、心を動かされてきました。このような体験を、私の子供達にも感じてほしいと願っています。」

キムラ氏は、新しい世代を代表し、博物館を引き継ぐことを冷静に受け止めています。世代交代について尋ねると、「世代交代は、常に起きていることなのです。私は今、43歳です。まあ、若いと言われれば否定しませんし、嬉しいことです。しかし、私には次世代へのバトンを繋いでいるという感覚はありません。むしろ、私は、過去から未来へと続いていく長い時の流れのある地点に立っているに過ぎないと考えているんです」と答えてくれました。

「そういった意味でも、先人に敬意を表し、彼らのストーリーを次世代へ伝承していくべきだと思っているんです」と、キムラ氏は続け、さらには次のように語ってくれました。「現在、日系コミュニティと博物館は、幾世代にもわたるハパ(他民族とのミックス)や新一世というコミュニティの人口構成の変化に向きあっています。一つの体験談で『日系アメリカ人』を語ることはできません。それぞれが、たくさんの体験をしており、私たちは、幅広い多様性を持ったひとつの大きなコミュニティなのです」

「他の博物館や非営利団体と同じように、ここ数年ほど、私たちもさまざまな困難に直面しています。博物館メンバー、寄付者、スタッフは減りましたが、その一方で希望の光もありました。そこには、人々の博物館への情熱がありました。博物館の成功、繁栄のためには手助けを惜しまない人々の姿がありました。博物館で行われるすべての活動に、そのエネルギーはみなぎっていました。博物館は、日系コミュニティの歴史やアイデンティティの中心にあり、未来を思い描き創造する上で、集合点として存在しているんです」

写真提供: Brian Adams Photography

キムラ氏は、「人生において、変化こそが唯一の不変である」と語ります。「博物館業界や日系コミュニティで生じていることに対抗するのではなく、それらを喜んで受け入れるべきでしょう。日系コミュニティの歴史は、偏見や差別を乗り越える歴史でもありました。悲劇もありました。一方、希望や苦しみの超越もありました。我々のストーリーは、博物館や日系コミュニティにのみ関係していることではありません。私は、博物館の最も重要な役割は、ここにあると思います。それは、国が市民との約束を果たすよう後押しすることであり、アメリカを最大限に素晴らしい国にするための貢献です。我々は、日系アメリカ人の複雑なストーリーを、欠点も栄光も全て伝えることで、その役割を果たすことができます。そうすることで、我々は、より多様化するこの国に、ひいては相互依存関係が高まる世界に奉仕できるのです。全ての人々の間に横わる共通点、そして差異への理解を示し、尊敬し、感謝を示さなければなりません。」

キムラ氏は、2月に博物館の館長として就任する前、全米人文科学基金の一環であるアラスカ州のヒューマニティ・フォーラムの議長を務めていました。1人の人間として、そして専門家として多様な経歴を持つキムラ氏の経験は、博物館新館長としての仕事に役立てられることでしょう。

また、キムラ氏は、自身についても次のように語ってくれました。「私は、日系四世でありアラスカ生まれの四世であり、ハパです。私は、いわゆる博識家、何でも屋のかっこ良い呼び名ですね、でもありますし、24歳の時に監督教会の聖職位に就き、牧師も務めてきました。」

宗教哲学の博士号を持つキムラ氏は、「教会のバックグラウンドは、私に人の話をよく聞く能力を備え、いかなる時も公平であるリーダーへと成長させてくれました」と言います。「ご存知の通り、礼拝所は非営利の先がけです。私は、火災で焼けた教会を再建まで導き、数え切れないほどの資金調達のためのキャンペーン活動を行い、人々の相談に乗り、あらゆることを見聞きしてきました。ですから、私は滅多なことでは驚きません。また、私は仏教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒といった、異なる信仰を持つ人々とも活動を共にしてきました。多様化したグローバルな世界で、こういった活動は重要な意味を持ちます。」

「私がアラスカ州のヒューマニティ・フォーラムの議長に就任したのは6年前でした。気がつくと、州の歴史と文化に関わることを素早く学びとっていく自分がいました。文化、芸術、人文科学、そして、人、特に人を取り巻く物語に対する情熱は、常に私の中心に据えられています。それは、仕事や学問上だけではなく、私自身がいかに生きるか、という意味でも指針となっているのです。」

キムラ氏の人生は、二世の祖父、ウィリアム・ユサブロウ・キムラに大きく影響を受けている、とキムラ氏は分析します。祖父は、第二次大戦中、ミニドカ収容所に強制収容されていました。

上列左から2番目がウィリアム・ユサブロウ・キムラ氏

「祖父は、戦時中ミニドカに収容されるまで、シアトルの美術学校に通っていました。祖母のミニー・ミタムラとは、収容所で出会いました。祖父は、アラスカで最初の抽象画家の1人であり、アンカレッジの私立大学初の芸術分野の教授でした。」

「祖父は、芸術でお金を稼ぐことはなく、亡くなるその日まで洗濯屋を営んでいました」とキムラ氏は振り返ります。「祖父には、家族、芸術、釣り、という3つの無限に愛するものがありました。私が小さかった頃、祖父は一日中洗濯場で過ごし、夜を徹して絵を書いていました。釣りに行くために祖父を朝迎えに行くまで、彼はずっと絵を描いていました。祖父が寝るのは、釣り船までの行き帰りの車中だけでした。私は、祖父の限りないエネルギー、仕事、強制収容で味わった苦痛や犠牲について思いを巡らせます。強制収容から戻った祖父は、子供や孫の為に、より良い未来を築いてくれました。」

キムラ氏は、妻のジョイと2人の子供を育てる中、よく祖父のことを考えるそうです。「私は、祖父の夢に見合う生き方をしていきたいと考えています。なぜなら、私の全ては直接祖父のお陰であり、ひいては全ての一世と二世のお陰と考えるからです。」

© 2012 Japanese American National Museum

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執筆者について

ダリル・モリは、芸術や非営利事業に関する執筆を専門とし、ロサンゼルスを拠点に活躍しています。三世、南カリフォルニア出身のモリ氏は、UCLAやボランティアをしている全米日系人博物館など幅広い分野へ寄稿しています。現在、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインにて、ファンドレイジングや渉外関係に従事しています。

(2012年12月 更新) 

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