ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2012/11/19/nikkei-argentinos-1/

日本の日系アルゼンチン人とは〜他の日系人とデカセギから抜け出せるか-その1

日本で、南米日系デカセギ就労者というとほとんどがブラジル及びペルーの日系人を連想するが、同じ時期に同じような経緯によってアルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、コロンビア等からも来日している。

ブエノスアイレス郊外北部にあるエスコバール市のローマベルデ移住地(筆者の出身地)

アルゼンチンに関しては、軍事政権から民政になり政治不安は収まりつつあった1983年頃、経済的には他の国々同様、高いインフレ率と失業率で衰退していたため、米国をはじめ、スペインやイタリアに出稼ぎに行った。

この時期、アルゼンチンの日系社会も、それまで多くの者が従事してきた花卉栽培やクリーニング業が大きな転換期を迎えていた。

花卉(観葉植物も含む)・野菜栽培では、コロンビアや近隣諸国からの輸入が容易になり激しい競争にさらされ、規模の拡大か温室栽培といった高額投資の必要性に迫られていた。一世の多くは、JICA国際協力事業団から円建てで融資を受けていたが、インフレで下落したペソでドルを買い、円高になっていた円で返済することが事実上不可能になり、「デカセギ」として来日するようになったのである。また、野菜に関しては隣国ボリビア人労働者が、初めは小作人として、その後は農場主としてかなり大規模に生産するようになった。

クリーニング屋も、アメリカ等からのチェーン店コインランドリー(ワイシャツやズボン等は別料金でアイロンもかけてくれるサービスも導入)企業が進出し、家族経営のクリーニング店(ほとんどが沖縄出身者による経営)は大きな打撃を受けた。

同じくエスコバール市にあるボリビア人コミュニティーの施設(ルチェティー地区)

アルゼンチンの日系社会は規模も小さく、32,000〜35,000人ぐらいである。そのほとんどが都市部またはその郊外に居住しており、自営業を営んできた。

100年以上の歴史があるが、ブラジルやペルーと違って政府協定の下、大量に日本人移民がやってきたのではない。ブエノスアイレス郊外には、JICAによって分譲販売された移住地も多数あり、各地に多くても25世帯ぐらいの小中規模コミュニティーが存在する1(パラグアイやボリビアの日本人コロニアは、面積も世帯数も桁外れであり、移住地から街に発展し、行政区になったのとはかなり違う)。

日系社会の教育水準(高卒率、大学進学率)は平均よりは高いかも知れないが、一部の一世たちが強調するように “みんなが高卒で、半分以上が大学に行っている” というのは大げさで、アルゼンチン社会の構造を反映してか、圧倒的に日系人の大卒が多いわけではない2。そのことが「露見」したのは、80年代末からの日本への「デカセギ」である。

アルゼンチン日系センターの仲間、ここには大卒の者が多いが、世代間を超えて連携と深め、日系人の「良き市民として」の地元社会への貢献をモットーとしている。

この「逆移民」現象が発生して20年ちょっとになる。私は、ペルー人やブラジル人だけではなくアルゼンチン日系就労者世帯との交流があり、様々な課題に取り組んできた。

二重国籍者を含むとピーク時(90年代の半ば)には4,000人超が日本で働いていたが、2011年末現在の統計によるとアルゼンチン国籍の者は、2,970人である(永住者が1,783人、日本人配偶者等が427名、定住者が405名である)。この数字には、日本国籍を持った者は含まれない。

「日系就労者」として製造業等で働いているものが約2,000人で、その他は、ホワイトカラー、日本人と婚姻した非日系人、非日系人の現役または元留学生等である。

2008年のリーマンショック後及び昨年の震災後には、合わせて400〜500人は本国に帰国している(震災後は、アルゼンチン政府が緊急避難対策として200人分の航空チケットを手配した)。一部は、数ヶ月後に日本に戻ってきているようだが、結局登録者は3千人を割ったことになる(ビークから25%減)。

アルゼンチンからの日系人は、関東地域に住むものが多いが、他国の日系人と同様に東海や関西方面にもかなりいる(817人が神奈川県、377人が愛知県、297人が静岡県、293人が東京都、202人が群馬県、175人が埼玉県)。

同じスペイン語圏のペルー人との違いは、日本語の理解力が比較的高いことである。しかしペルー人と同様、多くの者は斡旋業者(主に日系旅行会社)を通じて来日した。一世の7割以上は沖縄県出身であるが、賃金や就労条件等を理由にほとんどが本土で生活している。

居住状況を見ると、藤沢市の湘南台(272名が同市に登録)や横浜市の鶴見区(115人の内47人)等にある程度まとまっているとはいえ、例えば同じ団地に固まって住むということはない。

そして、子弟の教育問題や犯罪問題もあまり聞かない(警察白書に事例として載るような事案はないが、10年前ぐらいに強盗殺人事件で無期懲役になり、服役している日系人はいる)。

その2>>

注釈:
1.  在ア日系団体連合会、「アルゼンチン日本人移民史」第二巻戦後編、526〜537,2006年

2. 『アルゼンチン日系センター(イサベル・ラムニエル博士)他、第2章「日系アルゼンチン人(補完資料を含む)」』113-138、アケミ・ヤノ「アメリカ大陸日系人百科事典」、明石書店、2002。

© 2012 Alberto J. Matsumoto

アルゼンチン 出稼ぎ 経済 外国人労働者 在日日系人
このシリーズについて

日本在住日系アルゼンチン人のアルベルト松本氏によるコラム。日本に住む日系人の教育問題、労働状況、習慣、日本語問題。アイテンディティなど、様々な議題について分析、議論。

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執筆者について

アルゼンチン日系二世。1990年、国費留学生として来日。横浜国大で法律の修士号取得。97年に渉外法務翻訳を専門にする会社を設立。横浜や東京地裁・家裁の元法廷通訳員、NHKの放送通訳でもある。JICA日系研修員のオリエンテーション講師(日本人の移民史、日本の教育制度を担当)。静岡県立大学でスペイン語講師、獨協大学法学部で「ラ米経済社会と法」の講師。外国人相談員の多文化共生講座等の講師。「所得税」と「在留資格と帰化」に対する本をスペイン語で出版。日本語では「アルゼンチンを知るための54章」(明石書店)、「30日で話せるスペイン語会話」(ナツメ社)等を出版。2017年10月JICA理事長による「国際協力感謝賞」を受賞。2018年は、外務省中南米局のラ米日系社会実相調査の分析報告書作成を担当した。http://www.ideamatsu.com 


(2020年4月 更新)

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