ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2012/10/8/4607/

おふくろの味:ドナ・シズカのマンジョカのみそ汁

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母は3歳でブラジルに移住し、子どもの頃から森林の中で見つけた食べられる物は何でも食べていました。食べられる物と食べられない物の区別も知っていました。ヤモリからアルマジロまで、何でも食料になっていました。14歳で結婚し、バストスという町の近郊の養鶏場に住みつきました。

今でも私の記憶に残っていることは、母の作った物は何でも美味しかったことです。味付けはシンプル。塩、ニンニク、レモン、ラード、ねぎとショウガでした。父は味にうるさく、若かった母にいろいろ教えていました。父は人参の若葉のてんぷらをカリカリにさせるのにピンガ1をころもに入れていました。どんな雑草でも母の手にかかったらごちそうになっていました。とても懐かしく思い出します。

家の周りはピッコンという雑草がたくさん生えていました。今では薬草として使用されていますが、当時、母はピッコンの若葉をほうれん草の代わりに使っていました。酢みそ(味噌とレモンと砂糖)であえると、私たちが大好きなおひたしになりました。

母の福神漬けは特別でした。旬の野菜を多量に漬けて、それを子ども全員に配っていました。一週間かけて作った福神漬けは食欲をそそるパリパリな野菜の漬物でした。現在、あのような福神漬けを作る人はもういないと思います。人参、ハヤトウリ、ナス、大根、ゴボウなどをさいころ型に刻んで、塩漬けにして、重石をし、翌日には塩抜きをしていました。

別に、いり子としょうゆと砂糖で漬け汁を作り、その汁が冷めた後、刻んだ野菜を漬け込み、「デド・デ・モッサ(女の子の指)」という唐辛子をまるごと加えていました。一晩、重石をしていました。

このような手順を五日間繰り返しました。

毎朝、野菜の汁を絞り、ふたたびその汁を煮詰め、しょうゆか砂糖か水で味を整えていました。汁が冷めた後、その汁を野菜に戻すと、「ドナ・シズカのパリパリ福神漬け」の完成でした。ガラスの入れ物に入れておくと6ヶ月程、冷蔵庫に入れずとも保存できました。

母が作る味噌も最高でした。これも多量に作り、毎年、9人の子どもに配っていました。長年この作業を続けていましたが、味噌つくりは体力が必要なので、だんだんきつくなり、85歳で止めてしまいました。

「おばあちゃんの味噌」で作ったみそ汁は孫たちの間で好評だったので、スーパーで買った味噌を使うと、すぐにばれてしまい、誰一人口をつけませんでした。母の手製の味噌は最初は白くて月日がたつほど色は濃くなり、味もおいしくなっていきました。

ドナ・シズカのみそ汁。2012年9月筆者撮影

母の特別なみそ汁は本当の「おふくろの味」でした。作り方を紹介します。

まず初めに、一羽の鶏の肉づきの良い部分を他のレシピ用に取り除き、残りを独特なにおいを取るためにレモンでこすり、よく水で洗います。次に、鉄なべに水と刻んだたまねぎを入れ、鶏の骨が柔らかくなるまで煮込みます。それから、皮をむいて大きく切ったマンジョカ2を加えます(当時、あの地域では黄色いマンジョカがいちばん美味しくて、豊富でした)。マンジョカが煮崩れない程度に煮込みます。最後に、味噌を加え、沸騰し始めたら火を止めます。

汁をお椀に入れ、マンジョカも入れ、最後に細かく切ったねぎを散らします。あつあつのみそ汁は、特に、冬には最高です。

残念ながら、「おばあちゃんの味噌」は「幻の味噌」になり、私は母のように器用でもないし、気短かなので、このみそ汁を作るときにはいろんな調味料を使ってしまいます。このレシピで作ってみたい方は、マンジョカを加える前に汁をこしておくとよいでしょう。

「いただきます!」に参加しようと思い、母のみそ汁を作ってみました。

とても感動しました。嬉しい体験でした。そして、母を懐かしく思い出しました。2012年9月に3回忌を迎えました。95歳で他界した母でした。

注釈:

1. サトウキビを原料として作られる酒

2. キャッサバ、ユカとも呼ばれる

 

* * * * *

このエッセイは、「いただきます!」編集委員のお気に入り作品に選ばれました。こちらが、編集委員のコメントです。

ラウラ・ハセガワさんからのコメント:

他の作品も大変よく著述されていましたが、この作品を読んで驚きました。なぜなら、手をかけた美味しそうな昔ながらの家庭料理と一緒に、初期の入植者の生活のことも紹介されていますから。まさか、白いごはんとみそ汁とともに、ヤモリやアルマジロの料理が食卓に並んでいたとは、想像もできないことです。

これまで日本移民についてずいぶん読んできたと思っていますが、ロザ・タカダさんのストーリーは感動的でした。今更ながら、初期の入植者は筆舌に尽くし難い大変なご苦労をされたのだと思いました。それにも拘らず、食生活はなんてクリエーティブだったのでしょう。脱帽です。

アレシャンドレ・ウエハラさんからのコメント:

まず初めに、ディスカバー・ニッケイへ祝いの言葉を述べたい。ニッケイ食文化に関するエッセイを募集することによって、人々はニッケイの「食」についての体験を語ることができた。私も、自分自身の経験を通して、日本文化としてブラジルに強い影響を与えられていると思っている。なぜなら、サンパウロのような大都市では、ほとんどのシュラスコ専門店で日本料理がメニューの一品として加わっているからだ。

ロザ・タカダ著「おふくろの味:ドナ・シズカのマンジョカのみそ汁」を気に入った理由は、詳細に描かれているからだ。各材料と作り方を詳しく書いている。このような物語は読者に興味をもたらせ、いろんなセンセーションを巻き起こす。

著者が母親の言動や兄弟一人一人に配るみそ、または孫の間で好評な「おばあちゃんのみそ」で作ったみそ汁の話。読んでいるうちに読者ははまり込んでいく。

しまいには、過去から現在に読者をタイムスリップさせ、「おふくろのみそ汁」を再現するために同じ材料を集め、調理し、さらにはレシピも紹介する。それだけではない。同じ体験をするように私たち、一人一人をその気にさせる。

© 2012 Rosa Tomeno Takada

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このシリーズについて

世界各地に広がるニッケイ人の多くにとって、食はニッケイ文化への結びつきが最も強く、その伝統は長年保持されてきたました。世代を経て言葉や伝統が失われる中、食を通しての文化的つながりは今でも保たれています。

このシリーズでは、「ニッケイ食文化がニッケイのアイデンティとコミュニティに及ぼす影響」というテーマで投稿されたものを紹介します。

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執筆者について

日本移民のゆかりの地と知られているバストス生まれ。娘2人、息子2人の母親で、目に入れても痛くない孫が3人。料理するより食べる方が好き。末っ子の息子はおばあちゃんの影響か、料理上手でグルメ。毎年、庭の桜の開花を待ち望んでいる。18歳からクリスチャンであり、賛美歌を歌うのが一番のしあわせ。

(2012年9月 更新) 

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