ディスカバー・ニッケイ

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役者の視点

「マンザナールよさらば」は、ジーン・ワカツキ・ヒューストンさんと夫のジェームズD・ヒューストンさん共著による回想記を映画化した作品です。物語は、第二次世界大戦中、12万人の日系人が被った不当な扱いを、当時7歳だったジーンの視点からワカツキ家を中心に描いています。キャストとスタッフのほとんどに日系アメリカ人を迎え、アカデミー賞及びエミー賞受賞歴のあるジョン・コーティさんが監督しました。

1976年、「マンザナールよさらば」はNBCで放映され、映画は視聴者に強い衝撃を与えただけでなく、役者のその後の人生にも影響を及ぼしました。主要人物を演じたユウキ・シモダさん、ノブ・マッカーシーさん、パット・モリタさん、マコさんらは、映画の放映後35年たつ今、残念ながらすでに他界していますが、全米日系人博物館は、重要人物を演じたクライド・クサツさん、モモ・ヤシマさん、アケミ・キクムラ・ヤノさんを上映会のゲストとして迎えました。映画は、今回初めてDVD化され、現在発売中です。出演者たちは、撮影現場での体験やその後のキャリアへの映画の影響について語り合いました。

写真提供:NBCユニバーサル

一家の長男、テディ・ワカツキを演じたクライド・クサツさんは、現在、舞台や映画で最も有名になった俳優の1人です。テレビや映画への出演は数百を数え、彼の登場していないテレビシリーズを挙げるのは難しいほどです。「All in the Family」、「マッシュ」、「私立探偵マグナム」、最近の出演作では、「ER救急救命室」、「ECIS〜ネイビー犯罪捜査班」、「ロー&オーダー」、「L.A.」と、これらはほんの一部でしかありません。ハワイ生まれの彼の役者としてのキャリアは、1970年代のオリジナル版「Hawaii Five-0」に始まり、2010年のリメイク版にも出演しています。年配の映画ファンは、「ミッドウェイ」で彼を思い出すでしょうし、若い方々は、「ハロルド&クマー2」のハロルドの父親役でお分かりになるでしょう。

「ずっと役者になりたいと思っていました」と語るクサツさんは、ノースウェスタン大学の演劇科で演技を学び、軽喜劇からギリシャ悲劇まで、アジア系の人物だけでなく様々な役を演じました。しかしながら、卒業後カリフォルニアに引っ越した後、「ハリウッドにはたくさんのアジア系の俳優がいましたが、オファーされる役に多様性はなく、特に魅力的でもありませんでした」と、当時のことを語ってくれました。クサツさんが、「マンザナールよさらば」の映画化の話を初めて聞いた当時、彼はアジア系アメリカ人による劇団、イースト・ウェスト・プレイヤーズのメンバーとして活動していました。クサツさんは、「マンザナールよさらばの」脚本を読み、オーディションを受け、テディの役を射止めました。

クサツさんは当時を振り返り、日系コミュニティの中に、映画制作は裏切りではないかと懸念する声があったと言います。「文化的な影響があると思います。アジアには、『感情を表に出さない』という文化があるので、感情の吐露は恥だ、人々の注目が集まってしまうではないか、義理や我慢、忍耐はどこへ行った、ということだったのでしょう。」また、「映画が問題の核心部分に触れないのではないか、という懸念もありました。しかしながら、重要なのはそういうことではありません。映画は、家族の物語でした。人々に受け入れられる、普遍性がありました。」テレビシリーズ「ルーツ」で、視聴者が、アフリカ系アメリカ人の一家に自らを重ね合わせたように、「効果的な手段を用いれば、小さいことからでも最大限の結果を得ることができる」とクサツさんは断言します。映画「マンザナールよさらば」は、まさに効果的な手段でした。

クサツさんは、自身の選択によって演技が形作られたと語りました。「演技とは、選択することなんです。」「意見や感情を表にする時と同じです。」俳優として、「少ないアクションで、より多くを語ることができる」ことを信じる一方、与えられた機会で最大限の効果を引き出すには、「絶好の瞬間」を選ぶことが重要であると語ります。「私は、この役のような、既婚の長男で安定したリーダー的な人物を演じられる日は、もう来ないかもしれないと思いました。ハリウッド映画は、概してアジア系女優をエキゾチックで官能的に描く一方、アジア系男性を無感情に描き、ロマンスのシーンを演じさせません。」テディと弟のリチャードが収容所を離れ入隊することになり、バスに乗り込み家族に手を振るシーンで、クサツさんは、その機会を彼の「絶好の瞬間」に選びました。「別れのシーンで、私はアケミ(妻役のチヨコを演じたキクムラさん)にキスしました。それは、単なる純粋なだけのキスではありませんでした。詳細な説明はしませんが、効果的にシーンを盛り上げることができました。途中で監督の『カット、カット、カッート!』という声が聞こえてきました。変な感じもしましたが、人間的な側面を表現するいい機会だったので、気分良くもありました。」そしてクサツさんは、こう付け加えました。「この映画には、今見ても変わることのない、誰もが共感できる人間味が溢れています。」

モモ・ヤシマさんは、「『マンザナールよさらば』のような映画に巡り会うことはそうない」と語りました。彼女は、反抗的なアリスという娘を演じました。

ニューヨーク生まれのヤシマさんは、南カリフォルニア大学とUCLAで英文学専攻、ダンス副専攻の学生だった時、イースト・ウェスト・プレイヤーズ創設者の1人であり、アカデミー賞受賞者の兄のマコさんから、劇団員への動作とダンスの指導依頼を受けました。「このようにして私は、この世界に引き入れられました。」とヤシマさんは語ります。「舞台で役が付くまでは、舞台監督や照明、あらゆる裏方の仕事をしました。」彼女は、イースト・ウェスト・プレイヤーズ関連の旅回りの一座に参加し、即興や実験演劇の経験も積みました。

ヤシマさんが演技の中心に据えているのは、周到な準備です。彼女は、より多くのトレーニングを積むため、ニューヨークのネイバーフッド・プレイハウス俳優養成学校を受験し、合格しました。「ニューヨークに居る間、私は、アジア系アメリカ人には舞台で演じる機会がないと感じ、イースト・ウェスト・プレイヤーズに戻り、様々な公演に参加しました。」数えきれないほどの舞台、テレビ、映画へ出演するプロの役者としての彼女の長いキャリアは、ここからスタートしました。

ヤシマさんは、いつも通りの綿密なリサーチをし、アリス役の準備をしました。私は、「友人たちの両親にインタビューすることにしました。でも、(収容所での生活が)とても楽しかった、と言う彼らに度肝を抜かれました。私は、どんなに酷い場所だったのか、誰が立ち上がり、戦ったのか、そしてなぜ(収容所に)行ったのか、聞きたかったのです。でも、『どんなだったか、あなたに理解できるわけがない』と言われました。」確かに、彼女にはわかりませんでした。「(当時のことを)読んだり、人に話を聞いたりすることはできますが、外の世界から鉄格子で隔てられている状態を目の当たりにした時、私は、ロケ地に行かなければ出来ない体験ができたと思います。」

ヤシマさんは、共演者との間に生まれた友情や、毎日の撮影の様子を記録した映像をジョン・コーティ監督や皆で集まって見たことを振り返りました。彼女は、監督から多くを学んだと言います。また、食堂で家族と夕食を共にすることを期待する母親にアリスが逆らうという、小さいけれど効果的なシーンを加えることを強く希望し、映画の制作にも貢献しました。このシーンで、強制収容という激動が招いた、家庭習慣や伝統の崩壊を描きました。見る者は、反抗的なティーンエージャーに自分自身を重ねることができます。このように、「マンザナールよさらば」が内包する力強さは、誰もが共通して持つ、人間性なのです。

収容された人々が抑え込もうとしていた怒り、苛立ち、恥の意識、困惑などといった感情は、ワカツキ家のそれぞれからにじみ出ています。「だからこそ、当時の私はこの映画に対して本当に熱い気持ちを抱いていました。」ヤシマさんは、続けてこう語ります。「でも、当時のその気持ちを上回るほどのものが、今の私にはあります。」ヤシマさんは、強制収容について調べる中で抱くようになった、「誰が立ち上がり、誰が抗議したのか?」という問いに、ようやく答えられるようになりました。「私が、作・監督・製作を務める初めてのドキュメンタリーがもうすぐ完成します。」「A Divided Community: Three Personal Stories of Resistance」は、強制退去と戦い、徴兵忌避の罪で数年間連邦刑務所に投獄された人たちについての映画です。「ドキュメンタリー制作の経験はありませんでした。でも、私がやりたいことは、頭の中にありました、それをフィルムに記録し、編集したいと思いました。それを実現する能力は、当時、記録映像をジョン・コーティ監督と見ていたことで培われたと思います。」ヤシマさんは、この映画が、「マンザナールよさらば」のように人々が自らの体験を声に出して語るきっかけになり、また、映画を通し、実際に何が起こったのかを若者に伝えたいと考えています。

「マンザナールよさらば」の出演者で、歴史を記憶にとどめ、保存することがライフワークとなった人は、もう1人いました。テディの妻チヨコを演じたアケミ・キクムラ・ヤノさんです。彼女は、女優として、そして研究者としてこの仕事に取り組みました。キクムラ・ヤノさんが、「マンザナールよさらば」の出演依頼を電話で受けた時、彼女は、文化人類学で博士号の取得を目指すUCLAの大学院生であり、イースト・ウェスト・プレイヤーズの一員でもありました。キクムラ・ヤノさんは、日系アメリカ人の歴史やコミュニティ、文化に常に興味を持ちながら、学生時代を通して舞台芸術に関わってきました。

写真提供:NBCユニバーサル

「歴史的重要性のあるプロジェクトに関わる俳優は、より正確な演技へのプレッシャーを感じます。」とキクムラ・ヤノさんは語ります。また、この映画は、日系人コミュニティの強い関心を引く映画であったこともその理由でした。「完成までの一挙手一投足が見られていました。」エキストラとして出演した人の中には、マンザナール巡礼の発案者であるスー・エンブリーや、作家、劇作家、活動家であるフランク・チン、著名な作家であり詩人のローソン・イナダといった、そうそうたる顔ぶれが並びました。彼らには、次の世代に歴史を残すという共通の目的がありました。

キクムラ・ヤノさんにとって、ロケ地での撮影はより意義深いものでした。「ツールレイクは、比較的そのままの状態で残っていたので、主なロケ地に選ばれました。当時、私はまだ夫と結婚していませんでしたが、彼は私と一緒にロケ地に行きました。彼は馬で周辺を回り、自分が生まれた場所を見つけました。そのバラックはまだそこにあったのです。」彼女は当時を振り返り、「そのことは、その後も私の中にかなり強い印象を残しました。」と語ります。

映画の撮影を通して、キクムラ・ヤノさんは、生涯の友となる故ノブ・マッカーシーさんや、その他多くの人たちと友情を育みました。マッカーシーさんはモデルであり、ジェリー・ルイス主演の「The Geisha Boy (邦題:底抜け慰問屋行ったり来たり)」でハリウッド映画に初出演しました。キクムラ・ヤノさんは、「彼女はとても若く、実に美しい少女でした。面白かったのは、母親役のミサを演じる彼女はとても老けて見えたのですが、撮影が終わって夜ホテルに戻り、彼女が私服に着替えると、男性陣は口々に『あの娘誰?』と言っていたんですよ。私たちはとても楽しい時を過ごしました。」

キクムラ・ヤノさんは、映画のエンディングシーンにまつわる賛否両論について、このように語っています「父親が柵を壊し日没の方角へと車を走らせるシーンで、スー・エンブリーさんをはじめ二世コミュニティは、『その後、一家は幸せに暮らした。』という解釈をしたのかもしれませんが、何年も経った後、それはとても適切な終わり方だと思うようになりました。本当に辛い時代を潜り抜けた一家が、幸せになるというよりは、自由の身になり新しい人生を始める、ということがエンディングに象徴されていたのだと思います。」

ストーリーを正しく伝える、というプレッシャーは多大にありました。「『マンザナールよさらば』が多くの危うさを抱えていた理由は、映画の物語は1つなのに対し、現実には何千の、12万人分のストーリーが存在していたことです。残念なことに、アメリカの人々は、その後35年間、これほど忠実に描かれた物語を見ていません。」

キクムラ・ヤノさんは、その後も映画以外の活動を通し、日系人のストーリーを記録し、読み解き、人々と共有してきました。受賞歴を持つ作家であり、UCLAで教鞭をとってきた彼女は、20年以上に渡り全米日系人博物館でも働き、2011年7月には博物館長に就任しました。キクムラ・ヤノさんは、「人々のストーリーを、そして歴史を、裏の裏まですっかり語り尽くすことが重要です。」そして、「ストーリーを保存し、忘れないために人々と共有すること、それが博物館の役割であり、私の個人的な使命でもあります。」と語りました。

© 2012 Esther Newman

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このシリーズについて

1976年、ジーン・ワカツキ・ヒューストン原作によるテレビ映画「マンザナールよさらば」がアメリカのNBCで放映されました。テレビ放映後、ほとんど人の目に触れることのなくなったこの映画は、全米日系人博物館により、この度DVD化されることになりました。

3回に渡ってお届けするこのコラムシリーズでは、映画が製作された1976年、そして35年後の現代におけるコンテクストでその重要性を分析し、全米日系人博物館がどのような経緯で、そしてなぜDVD化に乗り出したかを探ります。

第1部では、原作者であるジーン・ワカツキ・ヒューストンさんや博物館スタッフのコメントを通し、DVD化に至るまでの努力の道程を紹介します。第2部は、ジョン・コーティ監督へのインタビューです。なぜ彼がこのプロジェクトに携わることにしたのか、なぜキャストやスタッフの大半に日系人を起用したのか、そして映画が後世に残すことについて、監督の考えを伺いました。第3部では、映画が役者へ与えた影響に注目します。

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執筆者について

エスター・ニューマンは、カリフォルニア育ち。大学卒業後、オハイオ州クリーブランドメトロパークス動物園でマーケティングとメディア製作のキャリアを経て、復学し20世紀アメリカ史の研究を始める。大学院在学中に自身の家族史に関心を持つようになり、日系人の強制収容や移住、同化を含む日系ディアスポラに影響を及ぼしたテーマを研究するに至った。すでに退職しているが、こうした題材で執筆し、関連団体を支援することに関心を持ち続けている。

(2021年11月 更新)

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