>>その13
安井益男と安井兄弟商店
「スクールボーイ」の1人、安井益男はオレゴン州フッドリバーの日本人社会の発展に大きな貢献をした人物である。1日本で英語を学んだ後、安井は1903年に学校に行くためオレゴンへ来た。彼の父と二人の兄はすでに渡米していた。彼はポートランドの弁護士の家で料理人の手伝い兼スクールボーイとして働き、英語も流暢に操れるようになった。
1905年、益男はフッドリバーを訪れ、その渓谷の自然美に惹かれた。同時に彼は近辺の製材所、材木切り出し場、果樹園などで働く日本人労働者に生活必需品やサービスを提供する必要性を感じた。そして兄の廉一を誘い、1908年に共同で日用雑貨店を開いた。兄弟2人の知恵を創意工夫で、その店はまもなく繁盛するようになった。
安井兄弟商店は単なる日常雑貨店にとどまらず、周辺に住む423人の日本人にとって日常の活動の中心であった。店は集会所や情報交換の場だけでなく、大阪商船会社代理店、貯蓄組合、不動産屋、職業紹介所、下宿屋、そして郵便局のかわりも兼ねたのである。
安井益男は、しばしばフッドリバー在住日本人と白人社会の仲介役を頼まれた。米国鉄道局のH. M. アイザックは、安井宛ての手紙の中で10エーカーの土地を借りている波川という農民に助言を与えるよう要請している。「先週の日曜、アンダーウッド(ワシントン州)で波川にあったが、彼は水不足に悩んでいた。私は、波川が約束されている水の分け前を受け取っていないと確信している。...この手紙を読んであなたが波川に会って、助言忠告を与えてくれることを希望している。波川氏はあまり自己主張をする人ではなく、自分の権利のために立ち上がって要求するのをためらっている。」2
1917年、オレゴン州議会に最初に外国人土地法案が提出されたとき、安井益男はフッドリバー日本人社会の利益を守るべく努力した。スタンフォード大学のチャールズ・ホッジに宛てた手紙の中で彼は嘆願している。「この件を『サンセット』誌か他の雑誌に取り上げていただけると大変ありがたい。またこの問題を検討する際、我々(日本人)の事情を考慮に入れてもらえれば幸いである。」さらに彼は一世農民を弁護し、こう記している。「この州の殆どの日本人地主は、痩せているか、不便な安い土地を所有しているのが現実である。それは、白人が自分で所有して耕作したいなどとは思わない代物である。したがって、もし人種偏見が根本的動機でなければ、日本人の土地所有を禁ずる理由などありえないし、我々がヨーロッパ出身者と差別される理由もないのである。」3
1917年のオレゴン州外国人土地法案は議会を通過することなく消滅したが、フッドリバー反アジア人協会の副会長であり法律顧問でもあるジョージ・ウィルバーの運動のもと、1919年に再度「日本人問題」が浮上してきた。4
白人土地所有者の中には、この機に一世農家に自分の土地を売ろうとしたものもいた。イリノイ州バーモントのC.A.ヒックルは安井益男に次のように書いてきている。
「私は最近のフッドリバーの人種問題をめぐり沸き上がる世論に注目している。私自身はここ何年か日本人の隣人を持ち、彼らがとても良い市民であることを知っている。...最近の(反日)運動は地域の日本人農民の成功への嫉みから出てきているようで、私は賛成できない。したがって、私の土地をあなたたちに売ることに何の異議もないし、日本人の受けている扱いは不当だと考えている。」5
オレゴンシティーに住む別の白人土地所有者はこのように書いている。「私はそちらで騒動が持ちあがっているのに気付いているが、もしあなたや友人の方々が私の土地を気に入ったなら内密に取引してもいい。」6
1922年9月8日、安井益男はK. 坪井の代理人としてイリノイ州シカゴのR. W.バッツに、借地代に700ドル追加することで彼の土地を坪井に売る気があるかを尋ねる書簡を送っている。安井によれば、坪井が、「借地契約の代わりに土地購入を希望する理由は、ある州議員が日本人の土地所有を禁ずる法案提出を次期議会に向けて準備しているから。」であった。7結局、安井の尽力にもかかわらず、オレゴン州の外国人土地法は翌年、議会を通過した。
第二次世界大戦発生と同時に、安井益男は他の2,191人の日本人と共にF.B.I.に連行され、「敵性外国人」として収容所に入れられた。1942年2月、安井兄弟商店は閉鎖となり、その後二度と店を開けることはなかった。
注釈:
1. 詳しくは、Bill Hosokawa著、Nisei: The Quiet Americans (ニューヨーク、1969)、または、Robert S. Yasui, M.D. and Holly Yasui編、The Yasui Family of Hood River Oregon(発行地不明、1987)。1990年3月5日から1991年6月までのホーマー・ヤスイからの書簡が、安井兄弟商店の歴史についての主たる資料となっている。以下の書簡は、ホーマー・ヤスイとヤスイ家コレクションの好意で利用することができた。
2. 合衆国鉄道局H.M. Isaacsより安井益男への1919年7月26日付書簡。
3. 安井益男よりスタンフォード大学G. Charles Hodgesへの1917年1月25日付書簡。
4. ホーマー・ヤスイからの1991年2月18日付書簡。
5. イリノイ州バーモントのC. A. Hickleより安井益男への1919年10月7日付書簡。
6. オレゴン州オレゴンシティのL. A. Hendersonより安井益男への1919年11月19日付書簡。
7. 安井兄弟よりイリノイ州シカゴのR. W. Buttsへの1992年9月8日付書簡。
*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」(1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。
© 1992 Japanese American National Museum