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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/06/13/

一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その24

>>その23

帰化権問題

一世たちは「帰化不能外国人」と帰化法で決めつけられ、アメリカ社会の一員として平等に生活する権利を否定されていた。その法定義に異議を唱え、帰化権を求めて闘った一世に別所南洋がいた。彼は1898年にアメリカ海軍に志願し、米西戦争、第一次世界大戦に参戦したばかりか、マッキンレー、ルーズベルト、タフトという3人の大統領の個人給仕としても働いた。

別所南洋 (Gift of Asae Okamura, Japanese American National Museum [97.297.1])

1910年、別所は外国籍アメリカ軍人を対象とする特別法(1894年制定)のもとに帰化申請を行なった。その法律によると、5年以上アメリカ海軍または海兵隊に勤めた21才以上の「いかなる外国人」にも市民権が与えられるはずであったが、裁判官は、議会が「モンゴル系人種」を帰化権獲得者から除外する意向を持っていたのは明らかという理由で、別所の申請を却下した。

第一次世界大戦中、別所は838人いた一世アメリカ陸軍軍人の1人として戦った。戦後、彼は再び市民権を申請し、今度は、1918年に新たに制定された陸海軍従軍の「いかなる外国人」にも市民権を与えるという法律により帰化を許された。しかし、別所の勝利は短命であった。1925年、合衆国最高裁判所はアメリカ軍人として第一次世界大戦で戦った日本人は、帰化市民になり得ないと判決した。彼のアメリカ市民権はそれから10年間、取り上げられたままであったが、1935年6月24日、フランクリン・ルーズベルト大統領が署名した特別法により、アジア系帰還兵にも市民権が認められるに至り、遂に別所南洋もアメリカ人として認められたのである。

別所南洋の帰化証明書 (Gift of Indiana Bessho, Japanese American National Museum [92.81.16])

小沢孝雄の闘い

外国人土地法通過後、アメリカ帰化権の有無は一世の経済全体に関わる大問題であった。カリフォルニア州が1913年と1920年に定めた「外国人土地法」は、その対象を日本人と直接に示すことは避け、かわりに「帰化不能外国人」という言葉を用いた。初期の帰化法は、アメリカ市民権取得の資格を白人かアフリカ系の人に限っていた。しかし、日本人コミュニティーは、外国人土地法などの差別的法律に対する「根本的解決」は、帰化権獲得であるとの意見で一致した。

様々な選択肢を考慮した後、一世指導者たちはアメリカ一般大衆の意見や外交的発議に頼らずに済む訴訟が、帰化権獲得への最善の方策との結論に達した。そしてその試訴の最適任者として選ばれたのが、既に個人的に帰化権を求める訴訟を起こしていた小沢孝雄であった。「私は日本人教会、日本語学校、またはいかなる日本人団体にも関係を持っていない。」1と裁判所に提出した弁論要項の中で述べていた小沢は、図らずも帰化権獲得の闘争において、全ての一世を代表するようになったのである。

誰の目から見ても、小沢は最高の「アメリカ市民」候補者であった。彼はカリフォルニア州バークレーの高校を卒業し、カリフォルニア大学に進み、キリスト教を信じ、アメリカ教育を受けた女性と結婚し、子供もアメリカの学校へ送り、家庭でも英語のみを話し、アメリカ企業で働いていた。また、小沢は自分自身についてこのようにも述べている。「私は酒も飲まず、煙草も吸わず、カード遊びもせず、好ましくない人々との付き合いもない。私が正直で勤勉であることは日本人、アメリカ人両方の友人に広く知られている。私はいつでも(キリストの)黄金律に従って行動するように心掛けている。」2

小沢は、まず正式の帰化申請の最低2年前までに東京へその船を仮請願するとの法的条件を満たしていた。彼は1902年に仮請願書を提出しており、1914年にハワイで正式な帰化申請を行っていた。また、その時点ですでに25年以上アメリカ国内に住んでいたことから、申請前に最低5年間は継続的にアメリカに居住するとの法的条件も満たしていた。

しかし、小沢の帰化申請は下級裁判所で繰り返し却下された。そして彼の訴えは、1917年5月31日、最高裁判所へ送られた。一世指導者の中には、アメリカの批判的世論のため勝訴の可能性はあまりないとの懸念から、この訴訟を一時延期したらどうかと主張する者もいた。一部のコミュニティー指導者と日本外務省は小沢に訴訟を取り下げることを忠告したが、彼は「死をかけても」この闘いを続ける決心であった。3

別所南洋の航海日誌、1889-1920年 (Gift of Indiana Bessho, Japanese American National Museum [92.81.13])

その25>>

注釈:
1.Yuji Ichioka著、219ページ。
2.同。
3.「新世界」1918年5月7日号。または、Ichioka著、前掲書、223ページ。

*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」(1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。  

© 1992 Japanese American National Museum

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執筆者について

アケミ・キクムラ・ヤノは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センターの客員研究員です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人類学の博士号を取得しており、受賞歴のある作家、キュレーター、劇作家でもあります。著書『過酷な冬を乗り越えて:移民女性の人生』で最もよく知られています。

2012年2月更新

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