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新世代継承の鍵は? 沖縄県人会・琉球国祭太鼓のリーダーに聞く

南カリフォルニアには41の県人会がある。中でも会員数で群を抜くのが北米沖縄県人会だ。青年部、婦人部など部会に分かれて積極的な取り組みを行っているが、ある時、芸能部に属する琉球国祭太鼓(りゅうきゅうこくまつりだいこ)グループの指導者2人に会って話を聞く機会に恵まれた。

きっかけは、私の娘が通っている小学校で知り合った日本人保護者ともこさんのお嬢さん(5年生)が、沖縄県人会の太鼓のグループに参加しているのを耳にしたことだった。私の出身の大分県人会には子供を連れて行ったことがない。夫の出身である熊本県人会には、以前にピクニックや釣り大会に子供と参加したことがある程度。だから沖縄県人会の活動に毎週、しかも小学生の子供が参加していると聞いて興味を覚えた私はともこさんに「是非、指導している方に話を聞いてみたい」とお願いしたのだ。

ロサンゼルス郊外のガーデナに本拠を置く北米沖縄県人会は、隣接した3棟のビルを所有している。そのビルの向かいにあるダンススタジオが太鼓グループの練習会場だった。

日曜の午後3時過ぎにその会場に着くと、スタジオには十代を中心としたメンバーが20名ほど集まっていた。彼らを束ねる指導役が、沖縄生まれの両親を持つ二世、山内憲さん(30歳)だ。

憲さんが琉球国祭太鼓を知ったのは今から14年前、1枚の写真からだった。その首里城を舞台に演技を披露する模様に一目で心を奪われた憲さんは、早速太鼓のグループの練習に参加した。憲さんはすぐに太鼓の虜となり、大学に進学してロサンゼルスを離れても夏休みなどの長期休みを利用して熱心に練習を続けた。

憲さんが指導するグループでコーディネーターを務める山内クリスティンさんが太鼓を始めたのは2002年。「大学を卒業して地元に戻って来た時に、沖縄舞踊をやっていた祖母に強く勧められたのです。それまでは琉球文化を習得したことも楽器の経験もありませんでした」。きっかけは自分の希望からではなかったものの、クリスティンさん本人が太鼓に魅せられるのに、時間はかからなかった。

演技中のクリスティンさん(前列左)と憲さん(左)。二人は実は新婚夫婦。

2006年には、世界うちなーんちゅ大会に参加するために、初めて沖縄を訪れた。「まるで大好きなハワイのように、島の人々はやさしく、食べ物も美味しい。すぐまた訪れたいという気持ちになりました」

太鼓は世界中のうちなーんちゅをつないでいると、クリスティンさんは実感している。「伝統芸能なので、継承している南米の人や沖縄の人、皆が同じ振り付けで踊っているのです。彼らと一緒になる機会があると、すぐに同じ動きで演じることができます。一体感が生まれ、初対面であっても家族のように感じます」

憲さんが言うには、太鼓を習っている子供たちにも「家族のように接している」そうだ。「厳格に芸能を指導するという人もいるでしょう。もちろん、その姿勢は尊重すべきことですが、私たちはできるだけ柔軟な姿勢で教えるようにしています。なぜなら、ここロサンゼルスには楽しみが溢れています。時にはふらふらとそっちに目移りすることもあるでしょう。厳しくしてしまうと、ブランクの後に太鼓を再開させたいと思っても戻り辛くなるからです。私たちはいつでも家族として子供たちを迎えてあげたい」

子供たちに沖縄の伝統芸能をここアメリカで確実に継承していくために、その橋渡し役を務める憲さんやクリスティンさんがしっかりとしたビジョンを持って取り組んでいることに感心させられた。

ここで、当初から抱いていた私の素朴な疑問を憲さんにぶつけてみた。「どうして沖縄県人会だけが突出して、これほど新世代への引き継ぎに成功しているのでしょう?その秘密はどこにあると思いますか?」というものだ。憲さんは「その鍵は伝統芸能にあります。三線、踊り、太鼓と魅力に溢れた伝統芸能を、最初は親が子に身に付けさせたいと県人会の芸能部に連れて来ます。子供たち自身もその魅力を知り、さらにここで仲間もできて一緒に成長していきます。そして、次第に自分が牽引する立場になり、県人会の活動に関与していくことになるのです」と即答した。

クリスティンさんも、祖母に薦められるという道筋を経て現在がある。憲さんの回答には説得力があった。

ちなみに太鼓以外の県人会活動では、本職がグラフィックデザイナーのクリスティンさんは、沖縄県人会のニュースレター制作に携わっている。

ところで、ルーツが沖縄になくても琉球国祭太鼓のメンバーになれるのだろうか。「もちろん、誰にでも門戸を開放しています。しかし、現状は両親ともに沖縄系か、半分か四分の一、もしくは八分の一、沖縄の血が入っているミックスで占められています。私たちが人々を勧誘する機会になるのが、主に県人会内での催しでの演技を通じてなので、観客もやはり沖縄県人会のメンバーであることがほとんどだからです」と憲さん。沖縄にルーツを持つ人たちが長く文化を受け継いでいくだけでなく、将来的にはさらに横にも開かれたグループになっていってほしいと願う。

彼らの話を聞いているうちに、どうしても太鼓の練習が見たくなった。二人の快諾を得て、スタジオで十代を中心とする太鼓メンバーたちの演技を見学させてもらった。

ダンススタジオで練習している模様

皆が同じ振りで一斉に足を踏みならし、バチを力強く振り回す。ダイナミックな動きがうねりとなり、見ている者の心を揺さぶる。わけもなく涙まで流れてきた。偶然、その場に現れた紹介者のともこさんも「最初見た時は鳥肌が立った」そうだ。

そして彼らの動きだけでなく、印象的だったのが目の輝き。誰もが親に背中を押されて嫌々やっているのではないということがよくわかる。彼らは自分たちの意志で沖縄の伝統芸能に取り組んでいるのだ。 

© 2011 Keiko Fukuda

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