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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/05/09/issei-pioneers/

一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その19

>>その18

一世コミュニティー

ハワイにおいてもアメリカ本土においても、一世は独自の病院、教会、新聞、その他様々な社会 文化 経済の団体を組織していた。彼らは、私たちのコミュニティーに安らぎと友情を見いだし、アメリカで生き延びるために協力、相互扶助を行ったのである。

親族を日本に残してきた一世にとって、遠縁の親戚、同県出身者、さらには日本人社会全体が「家族」同様の存在であった。一世たちの結束は、白人社会と何らかの交渉を持つ際に特に強固なものとなった。日本人移民にとって、白人に良い印象を与えることが非常に重要であった。一世は彼ら一人一人の行動が(良かれ悪かれ)、個人に留まらず家族やコミュニティー全体に影響を及ぼすことを良く分かっていた。社会学者ハリー・キタノは、「その頃の一般的な考えは、『ひとりの悪事は皆を傷つける』というものであった」と指摘している。1したがって、一世は自分の個人的利害よりコミュニティーのそれを重んじることが多かった。

ダイシロウ・クロイワ医師の診察かばん。1920年代頃。(Gift of the Kuroiwa Family, Japanese American National Museum [91.56.1]) キクオ・タシロ医師の顕微鏡 (Gift of Kikuwo Tashiro Family. Japanese American National MUseum [91.55.4.])

仏教寺院とキリスト教会

元来、一世の殆どは仏教徒であったが、ハワイ、アメリカ大陸ともにキリスト教会が最初につくられた。ハワイでは日本人、白人指導者同様に、組織的な宗教活動が労働者たちの心理を安定させるのに有効だと考えていた。そして、日本人移民をキリスト教徒に改宗する努力は何度となく行われたが、1894年に奥村多喜衛牧師がハワイに来るまではほとんど成功しなかった。

奥村牧師は、「米大陸若しくはハワイに生まれた子供が、将来アメリカ人と手を取り合って進まんとするには、(また)進んで世界的の舞台に活躍せんとするには、ヤソ教のお世話になっておく方が最も賢い仕方である。」と考えていた。そして彼は、「ただ1つの天地の神を霊の父を(ママ)仰いでおるので、神を信じる人々は父が1つであるから互に兄弟であるとして取り扱ってくれる。」と説いた。2

日本語に訳された革表紙の聖書。1926年 (Gift of Zenshiro Yuge family, Japanese American National Museum [91.46.1])

キリスト教と異なり、日本の仏教は週毎の礼拝よりむしろ個々の家庭でのお勤めや法事を信仰の基本としていた。しかし、仏教もハワイやアメリカ大陸に渡るとキリスト教の方式を取り入れて、寺院で宗教行事を行なったり付属学校を建てたりして、社会、文化、教育事業を行ない信者たちの必要に応じるようになった。

しばらくすると、日系キリスト教会、仏教寺院ともにお互いの行事や伝統を真似るようになった。キリスト教徒は仏教の記念日を祝うようになり、逆に仏教徒はクリスマスソングを歌ったり、クリスマスプレゼントを交換したり、さらには賛美歌のメロディーに合わせ、仏教の教義を歌うことまで行なった。

三世のデービット・マスモトは、日本に仏教日曜学校がないことを知った時の驚きを次のように述べている。「私は日本滞在中のある日曜日、大きなお寺を訪ねてショックを受けた。日曜学校に通う子供を全く見かけなかったからである。また、お寺には小さな仏教読本やお祈りの本もなかった。私がお寺で見かけたのは、衣をまとった僧侶がお香を焚きお経を唱えている姿だけだった。その時、私は初めてあることに気付いた。仏教日曜学校というものはアメリカが発祥の地であり、キリスト教の教義問答や教育システムをモデルにし、子供に宗教寓話、名前、日付などを暗記させる手段だったのである。日本には仏教日曜学校は存在しないが、仏教徒であることが普通である。誰でも死に際しては仏式で葬式を出すからだ。」3

一世たちがもともと仏教徒であったということは、二世の子供をどの宗教機関に送るかを決めるとき、あまり影響を与えなかった。家に近い、あるいは優れた道徳教育、社会文化活動を行なっているという理由で、子供をキリスト教会に行かせる一世仏教徒もいた。ある母親は言う。「どの教会に子供達が通おうと関係なかった。どちらも良い教育をしていたのだから。」4

その20>>

注釈:
1.Harry Kitano著、Evolution of a Sub-culture(ニュージャージー、1969)67ページ。
2.奥村牧師(後)
3.David Mas Masumoto著、Country Voices: The Oral History of a Japanese American Farm Community(デルレイ、1987)69-70ページ。
4.田中ミチコ、インタビュー。1977年7月7日。

*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」(1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。  

© 1992 Japanese American National Museum

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執筆者について

アケミ・キクムラ・ヤノは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センターの客員研究員です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人類学の博士号を取得しており、受賞歴のある作家、キュレーター、劇作家でもあります。著書『過酷な冬を乗り越えて:移民女性の人生』で最もよく知られています。

2012年2月更新

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