ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/6/23/masao-yamashiro/

解体していく「日本人」 -山城 正雄さん-

私がアメリカに来てから、この5月で丸30年になりました。すでに、日本で過ごした年月よりもアメリカでの日々の方が長くなっています。自分が日本人なのか、それとも日系人なのか、その辺の自覚が年々怪しくなってきていますが、それは別に今始まったわけでもありません。山城正雄さんの「帰米二世―解体していく『日本人』」(五月書房)を最初に読んだころは、すでにそうした、いわゆる「アイデンティティー」というものの揺れが生じていたように思います。

ハワイ出身の山城さんは、2歳の時に沖縄に帰国、1932年、16歳でハワイに戻ってからいろいろな職業に就き、その後移り住んだロサンゼルスで大学に入って文学の勉強をしていたのですが、日米戦争勃発で強制収容所に送られ、そこで「鉄柵」という文芸同人誌を興しました。戦後は主に庭園業者として働くかたわら、文芸活動を展開。93歳になる現在も、羅府新報にコラム「仔豚買いに」を書き続けています。

山城さんが「鉄筆」の同人だった日系詩人・加川文一の詩碑を建てるべきだと言い出したのは10年ほど前のことでした。それから約5年後の2005年、遂にその夢を実現しました。もち論そこには大勢の人々の支援があったわけですが、加川文一のだれであるかを知る人もそう多くはない状況の中で成し遂げたのですから、そこにやはり、人を引っ張っていく山城さんの力を見ないわけにはいきません。

私が「帰米二世」を初めて読んだのがいつごろのことだったのか、はっきりと記憶していませんが、1995年1月の刊行からあまり日がたっていないころだったように思います。そこには、私の中の何かを刺激するものがありました。例えばこのような言葉です。「この国に20年なら20年、30年なら30年生きているうちに、自分の内部に何かが生成し、何かが解体しているのを、やがて意識するようになる」。それは「帰化したからとて、日本人の内容のままでアメリカ人に成り済ました人」とか「『腰掛け人生観』でアメリカ生活を送っているナマの日本人」についての話です。山城さんは「(そうした日本人は)いつでも移民史を振りだしに連れ戻し、初期の出稼ぎ時代と同じ濃厚な故国指向性を生きようとする」と言います。

こうした言葉で受けた刺激は次第に、私の中で私自身に対する問い掛けのようなものになっていきました。それは「お前は何をするためにアメリカにやってきたのか」「今ここでお前は何をしようとしているのか」という問い掛けでした。言うならば、アメリカという異国に生きる日本人としての自覚を迫るものだったと言っていいかと思います。個人的なことや仕事のことなど、確かにいろいろあったのですが、やはり「時の力」が生じせしめた問い掛けでした。

それから約15年後。私は還暦を迎えたその日に、マンザナ収容所跡地の慰霊塔の前に立ち、乾ききった熱風に吹かれていました。久し振りに日系史における重要な場所に立ち、そこで一体何を感じるか、自分を確かめてみたかったという、言わば文学青年的な気持ちでした。しかし、私の期待に反して、そこで私は、私の心に何も響いてくるものがないことに気が付いたのです。強制収容の問題は、究極のところで自分の問題となし得ない。そんな了解でした。そう思った時、ふと山城さんのことが心に浮かんできたのです。いや、正確には、山城さんの「帰米二世」です。マンザナで、深く自分が日本人であるということを意識させられたためだったのでしょうか。

そして今回、加川文一詩碑建立3周年を記念する催しをロサンゼルス市立図書館リトル東京分館で開くことになり、そのためにもう一度、山城さんの「帰米二世」を読み直してみました。還暦も過ぎて、残る人生をどのように生きるか、そんな自問が常にぼんやりと私の前にちらついているおり、「帰米二世」に生き方のヒントを探すような気持ちもありました。

残念ながら、いまだに「ナマの日本人」という指摘をきっぱりと否定する力が、私の中にはなかったのですが、それでも、催しでは、自分なりの「収穫」がありました。催しに向けての準備会では再三再四「僕はしゃべらないからね」と口にしていた山城さんが、集まった80人近い人々に向かって熱っぽく加川文一について語ったのです。「加川さんは本格的な詩人です」「詩碑は日系社会にできた初めての歴史的なモニュメントです」「『海は光れり』から入って行って、どうか自分で好きな加川さんの詩を選んでください」。そう呼び掛ける山城さんの姿に、私はなぜか、深く胸を打たれていました。帰米として、どちらかと言うと、あまり日の当たらないところをずっと歩いてきて、だから、晴れがましいことは嫌いで、人の前に立って話すなどは論外のことだった山城さん。その帰米二世の山城さんの中で、遂に解体しなかったもの、そして、これからも決して解体することはないと確信できるもの、それは取りも直さず、山城さんの中の加川文一その人であり、加川文一から学んだものであり、加川文一と山城さんとを結ぶ詩という文学だった。それが私の中で初めて、実感として感じられたのです。

「この国に20年なら20年、30年なら30年生きているうちに、自分の内部に何かが生成し、何かが解体しているのを、やがて意識するようになる」。私もそうしたものを意識するところまでやっと辿り着いたということなのかもしれません。生成したものが何なのか、解体したものが何なのか、それを言葉で表現することはまだできませんが、性急にその答を出す必要もありません。

あと何度か「帰米二世」を読むことになるでしょう。五年後に読んだらどんな印象を受けるか。10年後には、20年後には―。そして、それがどんなものであれ、私は今、その時その時の印象を素直に受け入れるだろうと静かに確信しています。 

*本稿は『TV Fan』 (2009年6月)からの転載です。

© 2009 Yukikazu Nagashima

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執筆者について

千葉市生まれ。早稲田大学卒。1979年渡米。加州毎日新聞を経て84年に羅府新報社入社、日本語編集部に勤務し、91年から日本語部編集長。2007年8月、同社退職。同年9月、在ロサンゼルス日本国総領事表彰受賞。米国に住む日本人・日系人を紹介する「点描・日系人現代史」を「TVファン」に連載した。現在リトル東京を紹介する英語のタウン誌「J-Town Guide Little Tokyo」の編集担当。

(2014年6月 更新)

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