ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/10/18/3645/

ある帰米二世の軌跡: 歯科技工士 ハワード・小川さん -その1

先日、わたしの研究活動を長年にわたって支えてくださっている、ロサンゼルスで歯科医院を営んでいる、アーネスト・永松先生から、先生の叔父ハワード・小川さんのドキュメンタリー作品をつくっているとのメッセージを受け取りました。

前列(左から):千代子さん、ハワードさん、後列(左から):アーネスト・永松先生、筆者

わたしがアート・ハンセン先生のご指導のもとでカリフォルニア州オレンジ郡の日系社会の研究をやっていたときに、一番最初にオーラル・ヒストリーに応じてくださったのが、ハワードさんと、彼の姉であり、永松先生の母親でもある千代子さんでした。永松先生とハワードさんは、甥と叔父の関係にあたります。

ハワードさんと千代子さんは、帰米とよばれる日系二世です。帰米はほかの二世と同じようにアメリカで生まれましたが、家族や親類の都合、あるいは、両親である一世の意向などによって、幼少期から少年期までのあいだを日本で過ごし、日本で教育を受けた日系人です。

千代子さんとハワードさんのオーラル・ヒストリーに、わたしは非常に強い力を感じました。ふたりの「語り」をとおして、活きること(生きること)の素晴らしさ、希望を持ちつづけることの大切さ、信仰の大切さ、さらには正義をつらぬくことの大切さを、わたしは学びました。

悲劇

ハワードさんは1919年4月17日、カリフォルニア州北部のバークレーで生まれました。ハワードさんが生まれてまもなく、彼の父親はこの世を去りました。さらに悲しいことに、父親の死につづいて、母親が重い病気にかかったのです。闘病生活をおくっていた母親は、人生の最期を日本で迎えることを決め、ふたりの幼い子供たちをつれて、サンフランシスコを出発しました。

神戸に向かうクリーブランド号(現在のアメリカン・プレジデント・ラインズ社が所有し、太平洋航路で運航していた船の名前)の中で、ハワードさんの母親は寝たきりの状態になってしまいました。そこでは、白人のキングス一家とユダヤ系のシルバーバーグ一家が、母親とハワードさん、そして千代子さんの世話をしてくれました。

ところが、非常に痛ましいことに、船が神戸に到着する2日前に、ハワードさんと千代子さんの母親が亡くなったのです。さらに、亡くなった母親が持っていたお金が、見知らぬ人に盗まれてしまいました。キングスさんはすべてを失った幼い子供たちに、「アメリカに戻りたければ、いつでも手紙を書きなさい。すぐに返事を書きますから」と告げました。神戸に到着したあと、ふたりの幼い姉と弟は親類にひきとられました。

福岡県八女市にて

ハワードさんと千代子さんはその後、母方の祖父母の住む福岡県の八女市で元気に過ごしていました。そして、ふたりは地元の尋常小学校に通いました。千代子さんはその当時のことを、「毎日のように、ほかの子供たちに追いかけまわされたのよ!」と語ってくれました。近所の子供たちにとって、帰米の子供たちはとても珍しい存在だったのです。

また、千代子さんは本来ならば6年生に編入されるはずだったのが、アメリカ生まれで日本語があまり理解できていないという理由で、4年生に編入されました。帰米にとって、日本語の習得もふくめて、日本の教育制度に適応することはひとつの高いハードルだったのです。その後、ハワードさんは中学校に、そして千代子さんは高等女学校に進学しました。千代子さんが通った高等女学校は、現在の福岡県立福島高等学校です。

その当時は、現在の教育事情とは異なって、上級の学校に進学することは珍しいことでした。ハワードさんと千代子さんの祖父母は、アメリカ生まれであり、将来はアメリカに戻るだろうふたりのために、日本にいるうちにしっかりとした教育を受けさせようと考えていました。千代子さんは、「ほかの女子生徒たちは花嫁修業をするための学校に進学しました。しかし、わたしは高等女学校に進学しました。高等女学校では、先生たちが私のことを大切にしてくれました。祖父母にはとても感謝しています。そして、教育の大切さを実感しました」とその当時のことを語っていました。

また、千代子さんは船のなかで出会ったキングス一家やシルバーバーグ一家と、文通を続けていました。とくにキングス一家は、千代子さんにたいして非常に親切でした。キングス一家は、たびたび千代子さんにプレゼントを贈っていました。キングス一家や遠縁の親戚の支援などもあって、千代子さんとハワードさんは1930年の半ばに、アメリカに戻りました。はじめに、千代子さんがカリフォルニアに戻り、千代子さんを頼るかたちでハワードさんがカリフォルニアに戻りました。

その2>>

© 2010 Takamichi Go

世代 ハワード・小川 日系アメリカ人 帰米 二世
執筆者について

オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。

(2016年12月 更新)  

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