ジャーナルセクションを最大限にご活用いただくため、メインの言語をお選びください:
English 日本語 Español Português

ジャーナルセクションに新しい機能を追加しました。コメントなどeditor@DiscoverNikkei.orgまでお送りください。

media

ja

日本人俳優、ハリウッドに挑戦 その1

ハリウッドで活躍する日本人俳優として思い浮かべるのは、誰だろう?ジョージ・タケイ?彼はアメリカ生まれの日系人であって正確には日本人ではな い。では、「ヒーローズ」で一躍ブレイクしたマシ・オカ?彼は日本生まれの日本人だが、幼い頃にアメリカに移住してアメリカで教育を受けている。

10年以上前のことになるが、アメリカ人に「日本人で最も有名な俳優は?」というアンケートを取った結果が日本のテレビ番組で放送されていた。アメリカ人が選んだ第一位は、何とブルース・リーだった。確かに同じアジア人ではあるが…。

近年で最も活躍が認められている日本出身の俳優は、渡辺謙だろう。彼は日本でのキャリアも長く、「ラストサムライ」に出演したことで一躍、ハリウッ ドでの知名度を上げた。渡辺が主演したクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」には実に多くの日本人俳優が出演している。その中の、ロサンゼ ルスを拠点に活動している3名に会って話を聞く機会があった。

最初に会ったのは、渡米20年目になるカネダアキラさんである。ロサンゼルスの英語学校に留学後、サンタモニカ・カレッジでシアターアーツを専攻、 歌やダンスに取り組んだ。卒業後にOPT(Optional Practical Training)を取得し、アジア人を探していたエージェンシーに登録することができた。すぐに全米版のテレビコマーシャルの仕事が獲れて、エージェン シーが労働ビザをスポンサーしてくれた。その延長線上でグリーンカードを取得することもできた。アメリカ生まれではない俳優(俳優の仕事に限らないが)が 最も苦労するのが、労働ビザの取得である。その点、アキラさんは非常に順調に、必要最低条件まで早い時期に到達したと言えるだろう。

アジア人の役なら、アキラさんはどんな役でもオーディションを受ける。オーディションは毎回が挑戦。しかし、どんなに受けても落ち続ける時期もある と言う。彼はそれを運の波と呼ぶ。「受からないからって、そこで止めたら、それまでやってきたことが無駄になってしまう。それに挫折なんて、俳優でなくて も経験するもの。辛いことは何をやっていてもある。だったら、自分が好きなことをやって感じる辛さの方がいい。やれることがやれる幸運に感謝している」 と、あくまで前向きだ。

印象的な仕事としては、やはり「硫黄島からの手紙」を挙げた。日本人俳優たちが一致団結して現場を乗り切り、日本から参加している俳優、アメリカを拠点に活動している俳優の間に友情も生まれた。

20年に渡るハリウッドでの経験を生かして、後進を育成すべく、1年前にはノースハリウッドにハリウッドエンターテインメントアカデミーを立ち上げ た。ここでは演劇、ダンス、声楽を教えている。わずか1年という実績ながら、日本でデビューが決定した生徒もいるそうだ。アキラさんの今後の目標は、アカ デミーを育てること、そして、「ハリウッドで活躍している俳優」として、日本のテレビ番組に出演することだそうだ。

次に会ったのは、30年以上のキャリアを持つトシ戸田さん。日本で劇団四季に所属していたトシさんは、1974年、ブロードウェイに憧れて渡米し た。アメリカ人女性と結婚してグリーンカードを取得後、夢のブロードウェイで舞台中心に仕事を続けた。そして1980年後半に「エニシングゴーズ」という ヒット作品に、2年に渡って中国人役で出演したことが彼にとっての転機となった。舞台を演じている時は大きな話題にもなり、充実感に包まれていた。しか し、それが終わると、今度は大きな喪失感に襲われた。舞台は後に残る物ではない。できれば映像の作品に出演して、形として残せる仕事をしたいと強く望むよ うになったのだ。

1985年には日本人女性と再婚していたトシさんは、ダンサーだった妻の仕事でロサンゼルスを訪れた。その時に、「ハリウッドで仕事をしたい」とい う思いが募った結果、いったんニューヨークに戻ったものの、その気持ちを打ち消すことができなかった。トラックに家財道具を乗せて、夫婦でアメリカ大陸を 横断してきたのは、1990年のことだった。

トシさんもアキラさんと同じく、オーディションを受け続ける日々を送っている。「メナースII」という黒人ギャングの映画に韓国人役で出演した時 は、見る者に強烈なインパクトを与えた。撃ち殺される前に「I feel sorry for you mother」という、自分で考えたセリフを口にしたところ、それが広告にも使われた。

舞台では中国人、映画では韓国人と、やはりアジア人役なら何でも挑戦すると言う。しかし、一方で日本人役であれば日本人の自分が絶対に獲りたいと、 執念にも似た強い気持ちでオーディションに臨んでいる。「特に、自分の中に大和魂を感じるからこそ、『硫黄島からの手紙』の仕事は絶対に欲しかった」とト シさん。

日本での少年時代、「ローハイド」をテレビで見ていたトシさんとしては、クリント・イーストウッドの映画に出演できたことも、ハリウッドに来て良かったと思える一大イベントになった。

しかし、トシさんの挑戦はまだ途上である。彼の目標は、アカデミー賞のレッドカーペットを歩くことだ。もちろん、歩くだけでなく、ぜひ受賞してほし いものだ。ブロードウェイを夢見て、単身で渡米した時の気持ちを忘れることさえしなければ、挑戦の先には夢の実現が待っている。また、トシさんやアキラさ んのような、日本人俳優の実績が、これからハリウッドで活躍したいと望む日本人や日系人俳優たちの需要を変えることにもなるのではないか。ハリウッドでは 長い間、アフリカ系の俳優の配役が制限されてきた。しかし、それもシドニー・ポワティエという名優の出現以降、徐々に変わってきた。今ではエディー・マー フィーやウィル・スミスなどのアフリカ系スーパースターが活躍する時代だ。ぜひ、日本人、日系人、広くはアジア人のハリウッドでの市場開拓のために、彼ら が21世紀のパイオニアとなって足跡を残してほしいと思う。

その2 >>

 

© 2008 Keiko Fukuda