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「移民の父」とその子供たち

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100年の歴史を持つブラジル日本移民には、「移民の父」と呼ばれる存在がいる。ハワイ移民の父とかペルー移民の父というのは聞いたことがないがないから、「父」がいるのはブラジル日本移民だけかもしれない。

なるほど、ブラジルぐらい遠いと、受け入れ先を準備したり、移民船を調達したり、つまり誰かが言い出しっぺになって事業を立ち上げないことには始まらないわけで、そういったところで「父」も生まれる余地があるのだろう。

一連の仕事を手がけ、「移民の父」となったのは、水野龍という人物である。

移民の父といわばその「子どもたち」、第1回ブラジル日本移民約800名は、笠戸丸という船で1908年4月27日にブラジルに向けて出発した。そ の航海中、水野がつけていた日誌はサンパウロ州内陸部の町の史料館に保管されている。表紙の文字はかすれて読めなくなった、手のひらにのるぐらいの小さな 薄い手帳である。

史料館学芸員としてこの手帳の持ち主であった水野龍のことを少しずつ調べていたのが縁で、最近になって水野龍の息子、RZさんと出会うことになっ た。比喩的な「子ども」ではなく、正真正銘の血を分けた息子さんである。その気になれば簡単に訪ねることのできる距離にいながら、ずっと機会がなかったの は、江戸時代の終わりに生まれた水野龍の息子さんが健在のはずがないという思い込みがあったせいだ。探してみようという気すらおきなかった。
「僕はお父さんが75歳のときの息子。いま僕は77歳」ということだった。

「移民の父」という言い方には、当然敬意が込められているのだが、ブラジル日本移民にはたくさんの苦労もあったせいか、水野龍の評判は芳しいものばかりではない。水野龍をして移民の父とは笑止千万という意見もないではないのだ。

第一回の頃は、移民、というよりまだ海外出稼ぎ人という呼び名の方が一般的だった時代である。ブラジルに行くのはてっとり早く儲けるためで、そこで根付こうなどという料簡を最初から持っていた人はほとんどいなかった。

それがいざ行ってみたらとてもではないが短期間で一財産つくって故郷に錦を飾れるような状況ではない。笠戸丸でやってきて、サンパウロ州のコーヒー農園に契約労働者として送り込まれた移民の多くが、騒ぎを起こしたり、脱走することになった。「話が違う」というわけだ。

話は確かに事前の宣伝と違うところがあった。そうなってしまったのには、不可抗力といってもよい部分もあったし、移民会社社長である水野が責めを負 うべき部分もあった。当時、移民会社というのはずいぶんあくどいこともやったようだから、水野に騙されたと感じた人がいても不思議はない。儲からなかった からといって帰ることもできずにブラジルで亡くなった笠戸丸移民のなかには、水野を最後まで恨んでいた人もあったと聞く。

水野はブラジル移民事業を死ぬまで投げ出すことはせず、徐々に軌道にのせて行くのだが、ブラジル日本移民史のなかで第一回の笠戸丸移民は、ひとつの「悲劇」として記憶されることになる。その物語で水野に割り振られるのは、どちらかといえば悪役だ。

しかし一方で、水野の仕事を評価する人びともいた。一時帰国中に戦争がはじまり、結局10年近く家族と離れ離れに暮らすはめになった水野が、最晩年 になってようやくブラジルに戻るその費用を調達したのはブラジル移民の有志であった。「移民の父」と呼び始めたのはおそらくそのグループだろう。

考えてみれば実際の父親というものも、本来それほど尊敬されるばかりの存在でもない。憎しみの対象になる父親というのも世間にはざらで、そんな父親 との関係のなかで一人前に成長する人もいる。そういう意味でも、水野を「移民の父」とすることでいいのかもしれない。歴史の起源に必ず英雄が必要というこ とでもないだろう。何はともあれ、ブラジル日系社会は現在世界最大の日系社会としてあり、少数民族ながらブラジル国家の中で存在感を示している。

さて、本当の親子関係における父親水野龍はどんな存在だったのだろう。自ら移民としてブラジルに骨を埋める覚悟をした水野龍が、80歳にもなって拓いた「植民地」で幼いころを過ごしたRZさんに聞くと、やはりなかなかやっかいな親子関係だったようだ。

移民事業にほとんど身を捧げてしまった父親と、それに振り回されて苦労する母親。若いころのRZさんが、いつもその母親側に立ってものを見て、母親 に対して常に同情を感じながら寄り添っていた様子が話しぶりからうかがえた。かといって父親の存在は小さくなかったようだ。それは父親の言動を実に細かい ところまで記憶していることからも感じられた。

思春期の頃は日本とブラジルで離れ離れに暮らし、再会した父親とは2週間しか一緒にいなかったという。水野龍がブラジルに戻って一年ほどで亡くなってしまったせいもあるが、父親不在の間、家族が嘗めた苦労を思うとそう素直に再会を喜べなかったのかもしれないと思う。

長じて事業を興したRZさんは、一時期大成功をおさめるが、仲間の裏切りにあってうまくいかなくなった。その欺かれ方に、父親と共通する自分の性格 を感じたそうだ。そうして77歳になり、振り返ってみると自分がどうやらいつのまにか父親と同じような価値観を持ってこれまで生きてきたことに気づいたと いうことだ。

もちろん今、RZさんにとって父親は大切な存在で、移民百年で改めて脚光を浴びようとしていることを喜んでいる。

© 2008 Shigeo Nakamura

このシリーズについて

ブラジルサンパウロ州奥地の小さな町の日系社会。そこに暮らす人びとの生活ぶりや思いを、ブラジル日本人移民の歴史を織り交ぜながら、15回に分けて紹介するコラムです。

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執筆者について

立教大学アジア地域研究所研究員。2005年から2年間、JICA派遣の青年ボランティアとしてブラジルサンパウロ州奥地の町の史料館で学芸員をつとめ る。それが日系社会との出会いで、以来、ブラジル日本人移民百年の歴史と日系社会の将来に興味津々。

(2007年2月1日 更新)

 

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