ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2008/4/16/nikkeijin-kenkyu/

日系人研究再考 —上智大学ワークショップについて—

あるコミュニティについて語られるとき、通常二つの営みが同時に行われる。一つはそのコミュニティを定義する営みであり、もう一つはそのコミュニ ティの成員を特定することである。このような「定義」と「メンバーシップ」の営みによって、各々のコミュニティが措定され、内部からでも外部からでも認知 可能な社会的カテゴリーが形成される。

いうまでもないが、社会的カテゴリーとは固定化されたものではなく、歴史的な背景や文化的・社会的文脈によって意味と意義が変容するものである。つまり、社会的カテゴリーは常にダイナミックに流動するものであり、日常の場面で人びとによって交渉されるものである。

もちろん「日系人」というカテゴリーについても同様なことがいえる。世界各地に移住した日本人とその子孫には多様な経験があり、異なる時代・地域・ 世代を生きた人びとにとっての「日系人」の意味には差異があることは想像に難くない。一方、1990年代以降、アメリカ大陸から日本に渡った日系人にとっ ては、そのカテゴリーの成す意味にはまた別のアイデンティティが含意されている。

学術の世界においては、日系人を対象とした研究には長い蓄積があり、日系人の多様な経験に対する理解に大きく貢献してきた。しかし、複雑化した「日 系人」カテゴリーを捉え直す必要があるという声も少なくない。こうした問題意識の下、2008年2月16日に上智大学で「日系からNikkeiへ―日系人 研究への新たなるアプローチの模索-」と題したワークショップが開催された1。若手の研究者・大学院生を中心に、「日系人」の定義の形成と変遷を具体的な事例から議論し、今後の日系人研究について討議することが趣旨であった。

参加者人数(70人以上)が企画者の予想を遥かに上回ったこと、そして特にそこで行われたディスカッションの活発さを考えると、現在とても注目されているテーマであると筆者は感じた。続いて、ワークショップで行われた議論を簡単にまとめることにする。

まずは基調講演として、Jane Yamashiro(ハワイ大学大学院)が「日系人/Nikkei」という用語の使われ方について私見を述べた。例えば、コミュティリーダーなどを除けば 日常的にあまりNikkeiと名乗らないアメリカ合衆国の日系人と、「日本人の血を引く者」を名指すときに「日系人」が広く使われる日本との対照的な状況 を指摘した。これが「日系人/Nikkei」カテゴリーを分析する際の困難さであり、それを克服するために「自己反省的(Self- reflective)」な日系人研究を提起した。つまり、「日系人/Nikkei」カテゴリーは「誰が」、「いかなる方法で」使うか、そして「誰に対し て」使われているか、という側面に注意深くなる必要があるということだ。

続いての報告会は、第二次世界大戦の記憶とその後の運動から生じた日系人カテゴリーの構築をテーマにした第一部から始まり、ペルー、カナダ、そして フィリピンの事例からその過程が考察された。ライフストーリー研究を行う仲田周子(日本女子大学大学院)は、クリスタル・シティ収容所に抑留された「ペ ルー会」の日系人の語りについて論じた。収容所を「故郷」としてみなす語りがあることから、収容経験は多様であるだけではなく、そこには国家や民族の枠に 収まらないリアリティがあることを指摘した。庭山雄吉(東京大学大学院)は、強制移住を被った日系カナダ人によるコミュニティの定義が「Japanese in Canada」から「Japanese Canadian」へ、そして三世以降を中心に「Nikkei」へとカテゴリーが変化していく流れを解説した。また、フィリピンの事例を取り上げた飯島真 里子(上智大学)は、終戦後から日本のルーツを隠していた混血児たち(mestisong hapon)が、海外日系人大会への参加および日本への出稼ぎ経験を機に、自らの「日系人性」を前面に出すようになった過程を紹介した。

第二部では、現在における日系人のアイデンティティ構築をテーマにした3つの報告があった。ブラジルから日本へ渡った労働者の状況を分析した Hugo Córdova Quero(Graduate Theological Union大学院)は、日本人と日系人との間に新たな区別が現れたことを指摘し、極端な場合はステレオタイプに基づいた二項対立が生み出されると論じた。 続いて、佃陽子(東京大学大学院)はサンフランシスコのジャパンタウンで行ったフィールドワークを振り返って、当事者のみならず、研究者が調査を行うとき のコンテクストの問題に注意を喚起した。そこで、アルファベット表記のNikkeiというカテゴリーは、日系人自ら肯定的なアイデンティティとして戦略的 に使われるようになったと述べた。最後に、渡会環(上智大学大学院)はブラジルにおけるYOSAKOIソーラン祭りとアイデンティティ形成の関わりについ て発表し、若い日系ブラジル人は日本の舞踊を通じて、「日本性」と「ブラジル性」を融合した新たなハイブリッド表現を創造していることが理解できた。

以上の報告の他に、在日ブラジル人の事情を描いた映像ドキュメンタリー『この国にとどまって』(Hélio Ishii監督)と写真ドキュメンタリー『日本のブラジル人』(Ricardo Yamamoto撮影)の上映や、参加者と交流する場も設けられ、学術の領域を超えたネットワーキング実践を可能にした。

三田千代子教授(上智大学)が締めの言葉で述べたように、「日系人」というカテゴリーは、最初は日本人が海外移住者を他者化するために用いられたも のであるが、現在我われはその有用性を再考する必要に迫られている。今後は、日本人・日系人(あるいは「その他」)という民族的属性のみならず、調査者・ 被調査者・運動家・芸術実践者という立場、そして各々のコンテクストを考慮に入れながらより一層豊かな日系人研究を進めるべきであろう。

注釈:
1. 地域研究コンソーシアムの2007年度次世代ワークショップとして開催。飯島真里子(上智大学)が企画責任者。ウェブサイト:http://www29.atwiki.jp/nikkeijin/

 

* 本稿は、移民研究会(ディスカバー・ニッケイの協賛団体)が協賛団体の活動のひとつとして、当サイトへ寄稿したものです。

© 2008 Alberto-Kiyoshi Fonseca Sakai

執筆者について

フォンセカ酒井・アルベルト清の専門は社会学およびスペイン語教育。マドリード・コンプルテンセ大学で映像コミュニケーションの学士を取得したのち日本へ 渡る。静岡大学で修士号、千葉大学では日本におけるラテンアメリカ出身者のコミュニティ形成とエスニック・メディアの研究で博士号を取得。現在は城西国際 大学助教。NHKの国際放送でラジオ番組を担当。

(2008年4月 更新)

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