子どもの頃、私たちはロサンゼルスのリトル トーキョー地区によく行き、リトル トーキョー タワーズに住む村上ばあちゃんを訪ねました。エレベーターで、こけし人形がいっぱいのショーケースがある彼女の小さなアパートまで行き、ファースト ストリートにあるレストラン Aoi に夕食に連れて行きました。子どもの頃、姉と私はいつもサンリオ ストアに立ち寄って、貯めた数ドルを使いました。ハロー キティ、マイメロディ、リトル ツインスターズがあしらわれたステッカー、文房具、その他の小さなグッズが大好きでした。当時は、これらのグッズが今ほど広く手に入るわけではなかったため、いつも特別なご褒美でした。
しばらくの間、私の年上のいとこの一人が J タウンのアパートに住んでいました。時々、姉と私は泊まりに行きました。姉と私がとても仲が良かったもう一人のいとこは、メリノール小学校に通っていました。私たちは毎年恒例の夏のカーニバルを楽しみにしていました。いとことその両親は、募金イベントのブースで手伝わなければなりませんでした。姉と私は彼らの家に数日間泊まり、毎日彼らと一緒に JA スタイルのカーニバル料理を食べ、小さな容器にピンポン玉を投げて金魚を当て、ビンゴをしました。それは私たちの学校とはまったく違いました。メリノールの生徒はほぼ完全に日系アメリカ人でした。私たちの学校では、私たちだけが JA だったと思います。
両親は時々、私たちを二世週パレードに連れて行ってくれました。実際に行ったのは、シアトルから来たいとこたちが天理教の鼓笛隊の一員としてやって来て行進したときだけでした。彼らがファースト ストリートを音頭の踊り手や、オープンカーに乗った地域のリーダーたち、二世週の女王とその仲間たちを乗せた山車の間を行進するのを応援しに行きました。父が旧西本願寺の赤レンガを背に立って私を支え、群衆の上から見渡せるようにしてくれたのを覚えています。私はパレードが大好きですが、二世週パレードは、少し長くて参加者の間隔が広いこともありますが、今でもお気に入りの 1 つです。誇りとつながりを感じます。
1980 年代初頭、私と妹は J-POP に夢中になりました。私たちは文化堂に通って、シングルや LP のレコードやカセット テープを買いました。当時、J タウンには日本語の本屋が 3 軒ほどありました。私たちは、お気に入りの歌手の写真が載っているティーン雑誌を探すために、それらの本屋を全部回りました。ビデオ レンタル店にも行き、最新の音楽番組を観ました。歌詞を完全に理解していたわけではありませんが、それが私たちの語学力向上のきっかけとなりました。
私は結局、J-Pop に興味を失ってしまいました。当時の為替レートでは、J-Pop を続けるのはお金のかかる習慣でしたし、姉と一番近い従妹 (メアリーノールに通っていた)、そして彼女の親友以外に、この音楽の趣味を共有する人を知りませんでした。その頃、祖母は敬老老人ホームに引っ越していたので、もうこの地域には住んでいませんでした。私たちが J-Town に行く頻度はずっと少なくなっていました。
しばらくの間、私はこの地域とあまり関わりがありませんでした。高校を卒業して大学に進学しました。それが 12 年前に日系アメリカ人博物館で働き始めてから変わりました。今では、人生の約 3 分の 1 をこの組織で働いて過ごしています。非営利団体で働くことに付きものの、数え切れないほどの時間と限られたリソースによるフラストレーションにもかかわらず、自分が情熱を持って信じ、心から楽しんでいることをして給料をもらえるのは幸運だと感じています。献身的なスタッフやボランティアと一緒に働くことは刺激的で、日系アメリカ人の歴史、コミュニティ、文化について多くのことを学びました。博物館は、ある意味で私の拡大家族の一部になっています。(実際には、博物館の一部は私の家族です。夫、両親、叔父がボランティアです。)
博物館で働くことの一番の利点は、立地です。私は、JA コミュニティの周辺的な存在として育ちました。日本文化や JA コミュニティとのつながりのほとんどは、家族を通してでした。J タウンで働くのが好きなのは、レストランやお店が近くにあることと、ファースト ストリートやジャパニーズ ビレッジ プラザを歩くだけで、なじみの顔に気づくことができることです。つながり、家族、そして故郷のような感覚が味わえます。
博物館と J-Town を離れるたびに、私にとっては感情的に非常につらい思いをするでしょう。来年であろうと 30 年後であろうと、家を離れるような気持ちになるでしょう...
「私の幼いJタウンの思い出」日経アルバムコレクションこの記事を書いたことがきっかけで、J-Town との初期の交流をまとめた日経アルバム コレクションをまとめることにしました。ぜひご覧になって、感想をお聞かせください。
© 2007 Vicky Murakami-Tsuda