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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2007/3/29/brazil-nippon-dayori/

大宅壮一の「名言」をめぐって

コメント

大宅壮一というジャーナリストがいた。昭和を代表するジャーナリストのひとりと言ってよいと思うが、政治から社会風俗まで広範な仕事に携わってい て、耳にした人の多くが、なるほどうまいこと言う、と唸るような、物事の本質を的確に捉えた名言をいくつも残した人だ。毒舌家、という評価もある。

たしか、「明治を見たければブラジルへ行け」だったと思う。その大宅壮一が戦後ブラジルの日系社会を訪れた時に発したという言葉だ。戦後とはいってもずい ぶん古い話になるはずだが、日系社会のなかにはまだこの言葉を持ち出す人が時々いる。うまいこと言われたなあ、という思いがやはりあるのだろう。

「明治」とは感じないかも知れないが、今はじめてブラジル日系社会と接する人もある程度この言葉に共感できるのではないかと思われる。
これも名言の部類に入れていいだろう。

大宅壮一が表現したかったのは、単純に言ってしまえば、ブラジル日系社会には戦後の日本から姿を消してしまった明治気質がまだ息づいている、というようなことだろうか。

あなたには明治気質が残っていますね、と言われたらどう受け止めればよいのだろう。

「明治」というものの評価が概して高い現代の日本であれば、誉められたということになりそうだ。敗戦後、日本は戦前のよい部分もよくない部分も一緒くたにして捨て去ってしまった。失われてしまった日本の美点、それがブラジル日系社会には受け継がれている、というふうに。

けれどとりようによっては、あなたは古い、進歩のない人間だと言われていることになる。日本は敗戦で大きな犠牲を払うことによって新しい民主主義国家とし て大きく変貌した。それなのにブラジルの日系人たちはまるで昔のままの日本人だ。この言葉を悪く取るとすれば、そんなところだろうか。

何しろ毒舌家としても知られるジャーナリストの言葉である。良いようにも悪いようにも取れるところに真骨頂があるということなのかもしれない。

大宅壮一がこの一言を残したブラジル講演旅行中のエピソードを聞いたことがある。それを知っても大宅氏の発言の真意はわからないが、その背景のようなものはなんとなくうかがわれるように思う。

その話をしてくれたのは、当時、大宅氏を含む日本の著名人による講演会の受け入れ先になったある日本人会の関係者、MKさんだ。
戦争が終わってずいぶん月日はたっていたが、ブラジル日系社会の人びとにとって日本の最新情報をもたらしてくれる話を日本人から直接聴くことのできる機会はまだ貴重な頃だった。著名なジャーナリストらの話を聞こうと、会場にはたくさんの人が集まった。

当時、戦後のブラジル日系社会を混乱に陥れた勝ち組負け組みの騒動は、暗殺などが頻発するもっとも激烈な局面こそ過ぎていたものの、決して解決したわけで はなかった。敗戦を受け容れない人びと、受け容れたとしても日本の敗北を喧伝する行為や人物を決してゆるすことはできないという人びとは依然として少なか らずいるという状況だった。

その日の聴衆の中にもそういった立場のひとはいた。

講演全体がどんな雰囲気の中で進んでいったのかMKさんは憶えていないが、きっかけはある講演者(大宅氏だったかどうかはわからない)の発言だったという。

「まずいなあ」、主催者側のMKさんでさえそう感じるような言葉だった。

その一言から会場は徐々に不穏な空気に包まれ、終わるころには相当物騒な気配が充満していた。MKさんら関係者は、講演者たちの身を案じ始めた。

その日は、その町のホテルで宿泊予定となっていたのだが、聴衆の一部から、講演者たちをこのまま帰すな、というような声が出るに至り、主催者の判断で結局その晩のうちに町を出てもらうことになった。

「命からがら逃げ帰った」とMKさんが言うほど切迫した状況だったらしい。

講演者の一言というのは、天皇を他愛の無い(親しみを込めすぎた)愛称で呼んだものだった。

戦後の日本ではよく言う人があったという。日本にいて、戦前戦中から戦後アメリカの占領を経験した日本人にとっては、そんな一言を人前で堂々と口にすることで世の中の変化を実感できたのかもしれない。

日本からの講演者一行は、日本で敗戦を経験しなかった日本人たちに、日本がどれほど変わったかを伝える格好の材料としてその一言を選んだのかも知れない。 また、日本からブラジルまで講演旅行に来られる時期であれば、その変化がどうやら正しい変化であったという自信を持ち始めていただろう。

やや得意になってしゃべる講演者と、その前でどんどん顔が強張っていく一部の聴衆という場面は、思い描くだけで緊張してきそうだ。

ちゃんと調べたわけではないのだが、この日、聴衆の反応を見て、もしかすると命の危険まで感じたかも知れない大宅氏の頭に例の名言がひらめいたと想像することもできるだろう。

そうだとすると、大宅氏の名言の背景にあるのは、何よりもブラジル日系社会に接したときの大宅氏の驚きだったということになるだろう。

もちろんそれは、「明治」の日本が残っているブラジル日系社会が存在する、ということに対する驚きであると同時に、自身を含めた日本人が敗戦を境にすっかり変わり、以前のメンタリティーを完全に忘却しているということに対する驚きだったに違いない。

大宅壮一株がなんとなく下がりそうなエピソードを披露してしまったからというわけでもないが、最後にブラジル日系社会における知られざる大宅壮一の名言を紹介しておこう。

ある日系団体に伝わる芳名帳のなかにこれを見つけたとき、大宅壮一の眼差しの暖かさに胸が熱くなった。忘れないように書き留めたけれど、そのまま記憶してしまった。これぞ名言だ。

「実生よりは、接木の方によい実のなることが多い ―新しい祖国をつくる人々に」

 

© 2007 Shigeo Nakamura

ブラジル アイデンティティ
このシリーズについて

ブラジルサンパウロ州奥地の小さな町の日系社会。そこに暮らす人びとの生活ぶりや思いを、ブラジル日本人移民の歴史を織り交ぜながら、15回に分けて紹介するコラムです。

詳細はこちら
執筆者について

立教大学アジア地域研究所研究員。2005年から2年間、JICA派遣の青年ボランティアとしてブラジルサンパウロ州奥地の町の史料館で学芸員をつとめ る。それが日系社会との出会いで、以来、ブラジル日本人移民百年の歴史と日系社会の将来に興味津々。

(2007年2月1日 更新)

 

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