ジョージ・ヨシダ

音楽家 (1922年)

アメリカ社会への同化 (英語) ジャズとの出会い (英語) それでも、日本人 (英語) スウィングを愛した二世の若者達(英語) 「Jタウン・ジャズ・アンサンブル」(英語) 三世と補償運動(英語)

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ジョージ・ヨシダ氏は、1922年ワシントン州シアトルに生まれました。戦前、1936年にヨシダ氏は家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルス東部に移り住みました。戦時中ヨシダ氏は、アリゾナ州ポストン強制収容所に収容されました。ヨシダ氏はビッグバンド・ジャズやスウィング・ジャズを聴いて育ち、強制収容所では「ミュージック・メーカーズ」というダンスバンドを結成し、ドラムを担当していました。収容者たちは、音楽を通して、自分たちが鉄格子に囲まれていることを忘れ、可能な限り日常を保つ努力をしました。1943年、ヨシダ氏は陸軍に徴兵されました。1945年に結婚したヨシダ氏は、カリフォルニア州バークレーに新居を構え、その後35年間ワシントン小学校の教員を務めました。

1987年に引退したヨシダ氏は、日系二世と三世のミュージシャンと共にスウィングバンド、「Jタウン・ジャズ・アンサンブル」を結成します。ヨシダ氏は、現在もドラム奏者として活躍していますが、彼にとって音楽は、戦時中の困難な時代を生きた、日系アメリカ人史を思い起こす手段となりました。またヨシダ氏は、「Reminiscing in Swingtime 1925-1960: Japanese Americans in American Popular Music」という本を執筆しました。 (2008年4月15日)

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