(英語)1979年夏、イノウエ上院議員から電話がありました。彼は、上院ではハヤカワ議員の協力がなくても議案を可決できそうだが、補償に反対の日系人議員がいることが議会に知られれば、反対勢力にかなり有利な展開になる、と言いました。ハヤカワ議員が反対票を投じれば、日系アメリカ人について何も知らない議員たちも反対票を入れるだろうと言いました。そして、我々がすべきことは、ハヤカワ議員が反対のことを言わないよう彼に中立の立場をとってもらうか、我々のサイドに引き寄せるか、どちらかだと言いました。そしてイノウエ議員は、ハヤカワ議員と話がしたいので、会合の調整をしてほしいと言いました。また、その方が説得しやすいだろうから、我々がハヤカワ議員のオフィスに出向くことも伝えてほしい、と言いました。
1979年8月1日午後2時半、ハヤカワ議員のオフィスを訪問することになりました。我々が到着すると、イノウエ議員は、上院法案について話し合うわけだから、上院ではないミネタ議員とマツイ議員は来ないと言いました。彼らは不参加を申し出、それでいいだろうということになったそうです。
我々が部屋の中で待っていると、正面のドアが開き、2人のカメラマンが入ってきて、真っ直ぐオフィスの中に入って行きました。イノウエ議員の表情が一気に変わるのがわかりました。彼はとても怒っていました。
日付: 1998年7月1・2日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター