インタビュー
日系アメリカ人市民同盟(JACL)代表への任命(英語)
(英語)アイバ・トグリ(「東京ローズ」)が大統領恩赦を受けたのが1977年で、ちょうど同じ年、全米JACL委員のエド・ヤマモト氏1から電話がありました。全米JACL-当時は、賠償委員会と呼んでいました-の代表を引き継がないか、という打診でした。でも、僕は断りました。そもそも僕は、強制収容所にいたことはありませんでしたし、いたことのある人が代表になるべきだと考えていたからです。僕は、収容所のことは何も知りませんでしたし、補償についても無知でした。
その後、彼から何度も電話があり、毎回こう言われました。「委員にはそう伝えたけど、もう1度説得してみて、と言うんだ。」何回かの電話の後、僕は少し考えてみました。確かに自分にはアイバ・トグリの支援活動の経験があるし、少なくても補償運動を全国規模に引き上げられるのではないか。もしそうなったら、そこから人々の力で進めていけばいいのではないか。
補償は、一人や二人といった少人数では成し遂げられないことを、僕は分かっていました。大勢の力が必要なのです。政治的な側面は、政治家に任せる必要があるのです。それで僕は、「わかった、引き受ける」と回答したのです。
1. エドワード・M・ヤマモト氏は、1976年、JACL賠償委員会の議長に任命されました。ヤマモト氏と当時新たに発足したこの委員会は、1976年のJACL全国大会で発表するための様々な賠償案の検討を行わなければなりませんでした。全国大会では、満場一致で賠償金の支払い要求が決議され、同時に賠償金請求のための連邦法の制定を求める権限を得ました。
日付: 1998年7月1・2日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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