夏休みの仕事を探す苦労(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)まず理解していただきたいのは、収容所の外で生きるのは楽ではなかった、ということです。大学のキャンバスにいる限りは何とかなりましたが、夏休みになれば大学の外で仕事に就き、お金を稼がなければなりませんでした。

僕は、トムと一緒にウィスコンシン州のミルウォーキーへ行きましたが、仕事に就くことはできませんでした。補足ですが、ダコタ・ウェスリアン大生としてサウスダコタのミッチェルに居た時、僕は夜間学校で溶接のクラスを受講していました。アーク溶接を学んだのは、春休みにはどこかで溶接工として仕事がしたいと思っていたからです。

そして、ウィスコンシン州ミルウォーキーを選び、トムと一緒に出かけました。そこにはハーニッシュフェガーという会社があり、タンクなどの軍事設備を作っていました。この会社は今でもあります。溶接のテストがありましたが、僕は練習していたので合格しました。でも、彼らは僕が日系人であることを聞きつけ、人事担当者がそのことを知ると、会社は僕の雇用を拒否しました。

日付: 1998年8月27日
場所: 米国、ペンシルバニア州
Interviewer: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

discrimination racism

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