ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/840/

収容所内に枯山水を建設 (英語)

(英語)ニシザキさんは元々庭師としての知識はありませんでしたし、庭師ではなかったんです。彼はどういう花をどんな風に植えればいいか尋ね回り、いろんな人に教えてもらっていたんです。偶然訪れたニュー・デンバーの村で、彼はその土地の人たちが作った素敵な庭を見て、どうすれば出来るのか聞いたんです。そして村人たちから彼が自宅でも植えられるような植物をもらったんです。どこで何をすべきか、彼は教えてもらったとおり、毎日川床を歩き、石を拾い、枯山水まで運んだんです。結果的に、かなり大きな石まで大量に集めるようになったので、彼の友人が手押し車を作って運んで、そのうちトラックを出してまで、巨大な岩を大量に運んだんです。そうして、枯山水を造ったのです。 彼は5年間造り続けましたね。それはもう広大な庭で、その大きさ故に観光名所となりました。その土地が何エーカーあったかはわかりませんが、高さは20フィート(約6メートル)程で、でもそれは日本庭園とは別ものでしたけどね。庭を見るために各地から人が訪れました。ネルソンやブリティッシュ・コロンビアからも人が見に来て、ある写真家は「これはいいぞ。」と言って、写真を撮って行ったんです。そしてその写真家はこの日本の枯山水のポストカードを作り始めました。でも庭を見ると、日本の枯山水とは違うんです。


ブリティッシュコロンビア カナダ ヘイスティングス・パーク仮収容所 石庭 一時収容センター バンクーバー (Vancouver (B.C.)) 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2006年7月25・26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヘンリー・シミズ氏は、1928年ブリティッシュ・コロンビア州プリンス・ルパートで生まれました。第二次大戦中シミズ氏は、ニュー・デンバーに強制収容され、終戦後、現在の居住地であるエドモントンへ移り住みました。医学部を卒業したシミズ氏は、整形外科医となり、その後、医療関係の数々の要職を務めました。また、1989年から2002年には、日系カナダ人リドレス基金の会長を務めました。画家でもあるシミズ氏は、強制収容所の体験を題材にした数多くの作品を手掛け、それらの作品は、様々な場所で展示されています。シミズ氏のコミュニティへの貢献は高い評価を受け、1999年全カナダ日系人協会より表彰を受けました。また、2004年には、アルバータ大学の卒業生に贈られる賞を受賞し、同年、カナダ勲章を受勲しました。(2006年7月6日)