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カナダで日本式漁船を建造 (英語)

(英語)それらの船は全て日本人によって造られたもので、実際に造った人たちは、日本で造船技術を身につけてからカナダにやって来た人たちもいたでしょうが、ほとんどの人たちは独学かここで見習いをしながら、日本の漁船の造り方を学んだのだと思います。 確か1984年か85年に僕たちが初めてヴィクトリアに行った時、初めは蟹を買うつもりでフィッシャーマンズワーフへ行ったんです。そしたら「6番の波止場に行って、蟹漁をしてるエッジーという男がいるから彼に会いに行ってみるといいよ」と言われたので、会いに行ったんです。僕がそこで彼の船を見た時、彼に「それは日本の漁船じゃないですか」と言ったんですよ。すると彼は、「そうですよ。1933年製です。まだ漁に出れますよ。」って。それは既に50年以上も使われている船だったんです。でも性能はいいし、状態も良く、しっかり動いていたんです。ものすごく汚れてましたが、それ以外は船楼がどんな構造になっているか全て見て取ることができたんです。手製の船でしたね。 当時の船は手で造られていて、その頃プリンスルパート地域には、少なくても4、5箇所の日本の造船業地帯があり、フレイザー川周辺にもそういった地帯がたくさんあったようです。船はそこで造られていたんです。


ウォータースポーツ ボート カナダ 釣り 漁船

日付: 2006年7月25・26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヘンリー・シミズ氏は、1928年ブリティッシュ・コロンビア州プリンス・ルパートで生まれました。第二次大戦中シミズ氏は、ニュー・デンバーに強制収容され、終戦後、現在の居住地であるエドモントンへ移り住みました。医学部を卒業したシミズ氏は、整形外科医となり、その後、医療関係の数々の要職を務めました。また、1989年から2002年には、日系カナダ人リドレス基金の会長を務めました。画家でもあるシミズ氏は、強制収容所の体験を題材にした数多くの作品を手掛け、それらの作品は、様々な場所で展示されています。シミズ氏のコミュニティへの貢献は高い評価を受け、1999年全カナダ日系人協会より表彰を受けました。また、2004年には、アルバータ大学の卒業生に贈られる賞を受賞し、同年、カナダ勲章を受勲しました。(2006年7月6日)

Kazuo Funai
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カズオ・フナイ

米国での最初の仕事

一世実業家(1900-2005)

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Yuri Kochiyama
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ユリ・コチヤマ

ターミナル島 / サンペドロ(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

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Margaret Oda
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マーガレット・オダ

おてんば娘(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

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Grace Aiko Nakamura
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グレース・アイコ・ナカムラ

ラリーの釣りの腕前(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

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