インタビュー
『負け組み 』-日本敗戦認識運動
私にとりましてこの戦争は、大きな私の人生の、なんて言いますか、企画的な出来事でありました。8月15日の終戦、ご詔勅が発表されまして、そしてそれから後、日本のコロニア、日系コロニアで大きな問題が起こりました。で、中村大尉・・・少尉ですか、テネンチ中村っていうのがおりまして、私の事務所に飛び込んできましてね。大変なことが起こる。で、ある一部の人たちが、この群れを作って、そして日本が勝ったというんで、日の丸を立てて、そして凱旋行列をするという噂があるが、大変なことになると言ってきましたので、これは大変だと。なんとか食い止めなくちゃいかんなというんでですね。そしてあの宮越さん、これは海興のあれです、主任の。宮越さんのお宅へ飛んでいきまして、大変な問題になりますから何とか手を打たなくっちゃいけませんねというんでですね。そしてそこであの、日本敗戦認識運動と言うようなものをですね、私始めたんですね。
それでもう、脇山大佐がだいたい問題になってくるわけですね。あの人が確かにもう、担ぐ人、彼を担ぎ上げるに相違ない。それを私が責任を持って脇山さん、大佐には一つこの認識運動に名を連ねていただきますと言ってですね、そして脇山大佐のところへ行きましてですね、私が話しましたですね。脇山大佐は涙をこぼしてあれしましたけどもね。承諾いたしまして、そしてそれに名前を連ねてくれました。
ところがすぐに、彼は撃ち殺されてしまったんですね。私がそういう、なんていいますかねぇ・・・若い、年の若い、若かったと言うんでしょうかね。とにかく前後も考えないで大変な問題だと思って始めた運動が、非常なもう、臣道連盟というような問題を起こしましてですね。多くの人が殺されました。私がその、大体狙われたNo.1だったんですけども、私は一緒に生活をしておりました苦学生たちの人助けによって難を逃れることができました。
日付:
場所: ブラジル
提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.
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