ディスカバー・ニッケイ

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発作の後に雇った助っ人(英語)

(英語)脳卒中からある程度回復した頃、主治医のマーティン・クレル医師は、「誰かが一緒にいない限り、仕事への復帰は認めない。」と言いました。 私は、ババさんが経営するセンティネラとヴェニスの芝刈り機ショップへ行き、ババさんにこう言いました。「誰かと一緒じゃないと、主治医が仕事に戻らせてくれないんだ。」そして私は、「いい助っ人を見つけたいから、いろんな人に伝えてほしい」と頼みました。1週間後、この友人がサルバドール・ハロを紹介してくれたんです。私は、「彼、経験はあるの?」と聞きました。道具の使い方は知っているし、庭師の仕事を始めてずいぶん経つ、ということでした。それで私は、「わかった。まずは1週間雇ってみて、彼の仕事ぶりを見よう」と言いました。その後、彼とは27年間一緒に働きました。

引退の際には私のクライアントの97、8パーセントを彼に譲りました。贈り物ですね。というよりは、彼が27年かけて稼いだんですね。今でも時々手伝ってもらっています。「サルバドール、ここの草取りを手伝ってくれる人が必要なのだが。」と言うと、「オーケー。いいよ。」と言ってくれるんです。

彼は家族みたいなものですね。彼の子供達のことは、生まれた時から知っているし、成長も見てきました。彼の孫にも会っていますよ。全て上手く行っています。


日付: 2005年12月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダニエル・リー

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ルー・キタシマ氏は、ロサンゼルス出身の日系三世の庭師です。子供の頃、第2次世界大戦中に、家族と共にアリゾナ州ヒラ・リバーの収容所へ収容されました。そして戦後再び、父親が庭師として働いていたロサンゼルスに戻りました。若い頃は、空軍の戦略空軍司令部としてイギリスに駐在し、イギリス人女性と出会い結婚しました。そして任務が終了した後、キタシマ氏は妻と3人の子供と共にアメリカに帰国しました。

帰国後は、造園業に従事し、ロッド・スチュアート、シルベスター・スタローン、アン・マーガレットなど有名人から仕事を受け、「スターご用達の庭師」として知られるようになりました。その後、家族とイギリスに渡り造園業を始めますが、のちに家族をイギリスに残してアメリカに戻りました。

キタシマ氏はロサンゼルスで造園業を再開し、2003年に引退するまでの17年間、ウエスト・ロサンゼルス・カレッジの庭師の責任者を務めました。そして今でも、活動的でいるためにと顧客を何人か持ち、働き続けています。(2007年7月7日)