ディスカバー・ニッケイ

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庭師の技術を学ぶ(英語)

(英語)戦後、私たちはロサンゼルスへ移り住み、父は庭師の仕事を始めました。その頃、ロサンゼルスに戻り、庭師になる日系人が大勢いました。戦前、ロサンゼルスで働く庭師が多かったことが、戦後この土地で庭師となる人々の背中を押したのだと思います。彼らに、農業や植物栽培の経験があったことも一因でしょう。私の父がカリフォルニアに来た理由も同様だったはずです。

父は懸命に働きました。皆、一生懸命、長時間働いていました。私たち兄弟も、朝6時に父に起こされ、手伝わされていました。週末や祝日は必ず働きましたし、ありとあらゆる仕事に駆り出されました。遊んだことなんてありませんでしたね。

私が自分なりに庭師の仕事を学んだのはこの頃でした。私は、父や父の友人たちに、そして園芸場の人にもよく質問していました。すべきこと、してはいけないこと、植物の名前、日向か日陰かなどの植物を植える場所、肥料のこと、いろんなことを教わりました。それは、私が造園業を詳しく学ぶための大きなモチベーションになりました。


日付: 2005年12月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダニエル・リー

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ルー・キタシマ氏は、ロサンゼルス出身の日系三世の庭師です。子供の頃、第2次世界大戦中に、家族と共にアリゾナ州ヒラ・リバーの収容所へ収容されました。そして戦後再び、父親が庭師として働いていたロサンゼルスに戻りました。若い頃は、空軍の戦略空軍司令部としてイギリスに駐在し、イギリス人女性と出会い結婚しました。そして任務が終了した後、キタシマ氏は妻と3人の子供と共にアメリカに帰国しました。

帰国後は、造園業に従事し、ロッド・スチュアート、シルベスター・スタローン、アン・マーガレットなど有名人から仕事を受け、「スターご用達の庭師」として知られるようになりました。その後、家族とイギリスに渡り造園業を始めますが、のちに家族をイギリスに残してアメリカに戻りました。

キタシマ氏はロサンゼルスで造園業を再開し、2003年に引退するまでの17年間、ウエスト・ロサンゼルス・カレッジの庭師の責任者を務めました。そして今でも、活動的でいるためにと顧客を何人か持ち、働き続けています。(2007年7月7日)

マイク・シノダ

ロサンゼルスで見つめる自己アイデンティティ(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マサオ・コダニ

日系アメリカ人の庭師ダンス(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

ビンス・オオタ

ロサンゼルスで過ごした夏の思い出(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ハルノリ・オダ

造園業から園芸場経営へ(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

高塩 明

ボーディングハウスでの荒れた生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長