日系アルゼンチン人の職(スペイン語)

日系人であることは両文化の融合(スペイン語) アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語) 日系アルゼンチン人の職(スペイン語) 日本文化の継承-日本語学校(スペイン語) アイデンティティ・クライシス(スペイン語) 日本で外国人としていることの楽さ(スペイン語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(スペイン語) アルゼンチンの街で日本人というと・・・、アルゼンチン人にとって日本人というと、クリーニング屋ですね。というのも街で、実際に多くの大都市では、ここ50年、日本人はクリーニング屋の仕事をしてきたからなんです。たいてい沖縄出身の人たちですね。それから、首都のブエノスアイレスや大都市から離れたところにいる人たちは、花の栽培をしていました。私の父もそうでした。父は初め、祖母のいるダリンという村に住んでいました。その後、そこから20キロほど離れたエスコバルというところに移りました。そこには、200以上ものたくさんの日本人家族が住んでいて、大半が花の栽培をしているんです。そうですね、エスコバルは、今では国民的な花の都として知られていますが、実際にそうしたお祭りを始めたのは日本人だったんですよ。

日付: 2005年10月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アン・カネコ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

argentina dry cleaners florists

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


主な援助
日本財団