(英語)(ミッション市の日本人コミュニティは)とてもよく団結していました。もちろん仏教派、キリスト教派、それから農家協会の会員にはならず、どちらかと言えば無所属でいる者などいろいろいましたが、全体的に皆仲良くやっていたようです。でも大半の人達は日系農家協会、または彼等が呼ぶところの「農会」に属していました。農会の会合があると、集まっていろんな案件を話し合ったり決定していました。また、どこかの家族に不幸があると、見舞金や弔慰金が支払われるようになっていたそうです。
I*:なるほど、当時は農会があって、それぞれの県人会もあったのですよね。地域との付き合いはどの程度頻繁に行われていたのですか?
ほとんどの付き合いは県人同士によるものでした。同じ県出身者同士には、なぜか親近感が沸くんですよね。ミッションでは私達は唯一の和歌山県人でしたから、取り残されている感じはありましたけどね。私自身の著書にも書いた様に、当時は福岡県、滋賀県、鳥取県、広島県、神奈川県などの県人会がありました。
*“I ” はインタビュワー(ノーム・イブキ)
日付: 2005年10月29日
場所: カナダ、トロント
Interviewer: ノーム・イブキ
Contributed by: 世代-日系カナダ人レガシープロジェクト、日系文化会館