ディスカバー・ニッケイ

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ベトナム戦争で徴兵(英語)

(英語) 僕はベトナム戦争に徴兵されたんです。結婚した後だったしショックでしたね。もし徴兵されて何か起こっても、僕はとにかく「はい。はい。はい。」と言ってたでしょうね。とにかくそう言って従っていただろうと思います。でもね、ベトナムに行ってベトナム人を殺す理由は僕には無いでしょ?だから兵役から逃れようとしたんです。でも、運が良くて腫瘍が見つかったんですよ。だから医者が僕は戦争には行けないと診断書を書いてくれたんです。助かりましたよ。もし僕が戦争に行ってたらこの国に(生きて)戻ることはなかったでしょうね。英語は話せなかったし、ベトナム人でもアメリカ人でもない訳ですから、あれは妙な経験でしたね。獅子舞の踊り手であるアキヤマさんもベトナム戦争に徴兵されたし、大変な時代でしたよ。僕がアメリカに来たばかりの頃でした。


ドラフト 徴兵制 ベトナム戦争, 1961-1975

日付: 2005年1月27日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

北米和太鼓の師、田中誠一氏は1943年生まれ東京出身の新一世です。千葉商科大学を卒業後、1967年にアメリカへ移住しました。移住当初はワトソンビルで苺摘みをするなど農業労働者として働いてました。その後、サンフランシスコへ引越し、1968年にはサンフランシスコの日本町で行われた桜祭りに参加しました。しかし、この時の桜祭りには彼が若い頃日本のお祭りで耳にした太鼓の音が欠けていました。物足りなさを感じた田中氏は、秋祭りの時に、友達で寄り集まり、地元のお寺から太鼓を借り、自ら太鼓を演奏したのです。以後、太鼓を学ぶために、幾度となく日本へ帰国し、そのつど日本で学んだ知識をアメリカの同志へ教えていきました。1950年代に始まった日本での太鼓復興をアメリカに持ち込み、1968年に北アメリカで初の和太鼓道場(学校)、サンフランシスコ太鼓道場を設立しました。以来、彼は何千人もの生徒を教えてきました。

今日、アメリカ・カナダには200以上の太鼓グループが存在しており、その大半はサンフランシスコ道場へそのルーツをたどることができます。田中氏は基本的な太鼓のリズムパターンや動きを教え続けていますが、その教え方は武道が基本になっています。また、彼の太鼓スタイルは、日本のお祭りの伝統に起因していますが、彼自身のアメリカでの体験も反映され、伝統的な太鼓のリズムにジャズ・ラテン・他のリズムなども融合されています。

彼は日本外務大臣表彰や National Endowment for the Arts' National Heritage Fellows Award(米国版重要無形文化財) を受賞しました。(2005年1月27日)

ジミー・コウ・フクハラ

陸軍に徴兵される(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

トム・ユキ

朝鮮戦争での戦闘参加を避けるため、ヨーロッパでの任務を希望(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

ミア・ヤマモト

ベトナムでの兵役の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士