ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/379/

日本で看護婦の経験を持つ祖母(英語)

(英語) 私の祖母は1988年に生まれ、看護学校を卒業したのは1903年だったと思います。私は祖母の卒業前の写真を1枚持っているんですよ。そして卒業と同時に彼女は赤十字病院の看護婦として大日本帝国海軍に召集されました。祖母は看護の勉強をしていたので、召集はごく当然のことだったと思います。そして日露戦争が最も過熱していた時期に戦地に送られ、日露戦争の決戦ともなった旅順港閉塞作戦での任務に就きました。祖母は他の看護師と一緒に赤十字船に乗り、戦いで負傷した兵士の看護にあたっていました。

彼女が当時のことについて書いた文章は様々な書物の中で発表されているのですが、その内容は、ロシア軍の艦隊を前にして敗戦を予期していたことと、集団自決のための毒薬が看護婦全員に配布されることへの懸念でした。そして祖母たちは自分の部屋を片付け、敗戦から名誉を守るために自決する準備をしていたそうです。バルト海に流れていた兵士の死体を数え、ロシア人が何人で日本人が何人流されていたか数えていたことも祖母は文中で語っています。結果的に日本の艦隊がロシア軍を破り日本が勝利した訳ですが、その時祖母たちは立ち上がり、「万歳」と叫んだそうです。


日露戦争、1904年~1905年 看護師

日付: 2003年3月18・20日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、マユミ・ツタカワ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ロジャー・シモムラ氏の絵画・版画・舞台作品はアジア系アメリカ人の社会政治的な問題を題材にしています。これらの作品の多くは移民として渡米した故祖母が56年間にわたって綴った日記からアイデアを得ています。自作の絵画・版画の個展を100展以上も開催しており、ニューヨークのフランクリン・ファーネス、ミネアポリスのウォーカー・アートセンター、ワシントンDCのスミソニアン協会国立アメリカ歴史博物館などを拠点とし実験的な舞台作品を紹介してきました。また、教育者としても広く認められており、カンザス大学で特待教授(Distinguished Professor)になりました。さらに、アメリカ美術史学会は、4年間に渡る全米12の博物館で開催された巡回展『アメリカン・ダイアリー』の功績を称え、2001年に最優秀芸術作品賞を授けました。

シモムラ氏個人の書類などはスミソニアン協会アメリカン美術古文書館に保管されています。また、ニューヨーク.、シカゴ、カンザス市、マイアミ、シアトルのギャラリーで彼の作品を見ることができます。

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。