インタビュー
パイナップル畑での労働 (英語)
(英語) 当時、私の社会生活の中心はYWCAにありました。ティーンエージャーだった私たちはYWCAに所属し、YWCAが私たちの社会生活の重要な部分を担っていたんです。YWCAのお友達の多くがパイナップル畑のちょうど真ん中にあるホワイトモア市から来ていました。毎年夏になると、彼女たちはパイナップル畑で働いていたんです。
ある年「私にもできるわ」と思い立ち、お友達に混ざってパイナップル畑で働くことにしました。それは本当にすごい経験でしたね。当時、既に機械は導入されていましたが、私たちのような若者は大きな袋を使って収穫しました。ずだ袋を肩に掛け、ふちの広い帽子を被り、パラカシャツ(アロハシャツの原型となった作業着)を着て働きました。それから母が縫ってくれたデニム製のエプロンも着けていました。朝は早起きをし、迎えに来たトラックに乗って出かけ、畑の中で働くのです。よく覚えているのは、パイナップルの実や葉のとげが刺さることですね。エプロンはそれを防ぐためにあったのですが、それでも家に帰ると、足に何百箇所も刺し傷がありました。それでも私たちは手でパイナップルを摘み取って、大きな袋に入れるんです。そして袋が一杯になると、パイナップルを集める場所までもって行き、袋を空けて一箇所にまとめるんです。あの夏、私は本当に頑張ったと思いますよ。それにあの時ほど健康的だった夏もありませんでした。とても健康的な外見をしていたんです。
その経験の中で何が一番素晴らしかったかといえば、お友達みんなが集まることができたという点でしょうね。お昼の時間には舗装されていない道路にみんなでエプロンを敷いて、お弁当を広げたんです。弁当の中身は母が作ってくれたおにぎりやスパム(ハムの缶詰)、それにウィンナーソーセージ、おいしいものをいろいろ入れてくれたんですね。パイナップル畑にはとても素敵な想い出があります。
日付: 2003年12月15日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: リサ・イタガキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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