ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1758/

日本の文化と日本語に触れて育つ(英語)

(英語)私の兄姉たちも、日本の文化が好きでした。雑誌やレコードを買ったりしてました。、レコードを聴くのは好きでしたね。私も雑誌を見せてもらったり、音楽を聴くのを楽しんでました。サンフランシスコには日本の映画を上映している映画館が2箇所ありました。私は毎週金曜日と土曜日に行ってました。金曜日にこっちへ行ったら土曜日はもう片方へという感じでした。アメリカ人というよりも、とても日本人的でした。家では、父と母が日本語で話していたからです。父は「お前は日本人の顔をしているだろ?それなら、日本語を勉強しないとな。」と言っていました。それが未だに忘れられません。


日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジミー・ナガヌマは1936年にペルーのカヤオで一世の両親の間に生まれた。8歳の時、家族と共に強制連行され、第二次世界大戦中テキサス州クリスタルシティに収容された。戦後、一家は収容所を出ても行くあてがなかったが、カリフォルニア州サンフランシスコの牧師がスポンサーを申し出てくれたので、そこで仕事と住居を見つけることができた。(2020年6月)

ジェームス・ヒラバヤシ

親子の触れ合い (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

山野愛子ジェーン

日本語能力の欠如(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

文化的適応(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

外国人慣れしてきた日本人(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

ウェイン・ヨコヤマ

唯一の日本文化:食べ物(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

ロイ・H・マツモト

異なった方言を理解することの難しさ(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

ノスケ・アキヤマ

太鼓を通しての日本文化の再発見

サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

ペルーへの帰国が不可能ゆえに英語を習得(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

日系アメリカ人コミュニティの生活(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

戦後の再出発と日本的要素の否定(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)