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日本が恋しくて泣いた日々

1919にアメリカ来ました。お父さんとお母さんこちらに来ておったでしょ。あれで、呼び寄せてもろうてきたんです。あの時は、日本が恋しいんでからね、毎日泣いておりました。日本のこと思ってね。


世代 ハワイ 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) アメリカ合衆国

日付: 1991年6・7月

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ロバート・ナカムラ、カレン・イシズカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1900年生まれの福岡県出身の笠原さんは、先にハワイへ移住していた両親に1919年に呼び寄せられた。移住当時はホームシックで毎日泣き明かしていたという彼女は、砂糖きびプランテーションで日給55セントで働いた。

笠原さんは1922年に、プランテーション労働者とお見合い結婚をした。夫は再婚で、最初の奥さんは亡くなり、二人のお子さんをもうけていたが、笠原さんと結婚したときは、二人の子供たちは日本へいた。笠原さんはその夫との間に6人の子供をもうけたが、うち2人をまだ小さい時に亡くした。(1991年7月)

Masato Ninomiya
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たわし工場労働者から洋服の仕立て屋へ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

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Masato Ninomiya
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初期の日本人移民の職業

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

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Masato Ninomiya
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日本政府の日系人に対する誤った思い込み

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

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Sabrina Shizue McKenna
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マリー・ミルクス判事 - 彼女のヒーローであり指導者

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。

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