(英語)最初のトラウマは原爆そのものだったとお話ししましたが、2つ目は横川に戻ったときのことでした。もう信じられません。地域がまるごと、市がまるごと消えていました。平らでした。この地域はもともと比較的平坦で、何ブロック先も見渡せるのですが、残っていたのはコンクリートや板金や石など、不燃性のものだけでした。植物はありませんでした。周辺に残っている唯一の有機物は、黒焦げになったおぞましい死体だけでした。私たちが戻るだいぶ前に相当な努力がなされていて、人々はできるだけ速やかに死体を集め、火葬にしていました。火葬にする匂い、遺体が焼ける匂いは忘れられるものではありません。
今でもそうです。10年程前だったでしょうか。私たちは旅行をしていました。世界中たくさんの場所を旅しているのですが、ある時ネパールへ行きました。旅の目玉の1つに、仏教の火葬の見学がありました。それはどこかの川の近くの田舎で行われることになっていました。「面白そうだな」と思ったのを覚えています。しかしその地域に近づくにつれ、匂いに吐き気を催すようになり、私はアイリーンに「行けるかどうかわからない」と言いました。でも結局火葬を見ることができ、乗り切ることができました。でも、何かのきっかけで記憶が刺激されて吐き気を催したり、少し胸が詰まるような思いをしたりすることは今でも時々あります。
日付: 2019年9月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 三木 昌子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター