(英語)私はいつも、自分の人生にはトラウマになる出来事が3つあったと思うと人々に話しています。もちろんこれがその1つ、最初の体験です。道路にたどり着いた時、はっきりとは分かりませんが、50人、100人もの信じられないほどの大怪我を負った大勢の人がいました。四肢が折れていたり、あまりにひどいやけどを負い、体から皮膚がただれ落ちている人々がいました。内臓がお腹から外に垂れ下がり、それを支えている人が何人か、私が見た限りでは少なくとも1人はいました。何人かはすでに地面に倒れていて、水が欲しいと懇願していました。死の直前はひどく喉が乾くと言われています。人々は、「水を飲んだら死んでしまうから水をやるな」と言っていましたが、どのみちそうした人々は亡くなりました。その頃までに、道には死体がずらりと並んでいました。
私たちは大虐殺の海をくぐり抜け、どのくらいの時間かは分かりませんが、30分かもしれないし、1時間かもしれないし、何時間もかかったかもしれませんが、炎に包まれた市からようやく抜け出し、重傷を負った大勢の人々から逃れ、まだ機能していた駅にたどり着きました。そして電車に乗って可部という地域に住む親戚の元に向かったことを覚えています。そこには遠縁の親せきがいました。私たちは戦争が終わるまでそこに身を寄せました。
日付: 2019年9月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 三木 昌子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター