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ポータブルビデオカメラの一般利用の模索(英語)

(英語)私は、次々に企業に手紙を出しましたが、そのほとんどが日本企業でした。1960年代、ソニーやキャノン、パナソニックといった日本企業は、一般消費者がビデオカメラを使用する可能性を模索し始めていました。私の手紙に最初に反応してくれた主要企業のひとつが赤井電機という会社でした。赤井氏は、いわゆるポータブル、またはポータパックという愛称で呼ばれていたビデオカメラを12台提供してくれました。私はそれをバックパックのように背負い、カメラ本体につないだ状態で別々に運びました。ものすごく重かったです。

最初は笑われました。テレビ業界のプロの人たちもバカにしていました。プロ用の機材とは比べ物にならないので成功するわけがないと思われていたのです。でも重要なのは、まだ存在していないあらゆる可能性を探究することでした。


赤井電機 映像撮影技術 ビデオレコーダー ビデオ

日付: 2017年9月15日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジェニファー・クール

提供: ジェニファー・クール、マシュー・ピュリフォイ

語り手のプロフィール

1934年カリフォルニア州ジェファーソンパーク生まれ。1942年に家族と共にポモナ集合センターに勾留され、その後ワイオミング州のハートマウンテン強制収容所で収容される。第二次世界大戦の終わりにニュージャージー州のシーブルック農場が労働者として雇用した収容者の中にはカタオカさんの両親もいた。

ニュージャージーの高校を卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学し、1957年に美術教育で文学士を取得し、1959年にはコミュニケーションデザインで修士号を取得する。1957年から1965年まで戦車将校として陸軍予備軍に所属する。1966年、UCLAの美術、美術史、デザイン学部の教員となる。1970年代前半、米国初の市内全域で利用可能な分散型の双方向ケーブルテレビ放送システムを開発する。

カタオカさんはデジタル印刷の美術界への導入に貢献し、高品質のインクジェット技術が普及する前から美術館品質の解像度と収蔵可能なインクや用紙を用いたコンピュータとプリンターのシステムを思い描いていた。

カタオカさんは2018年5月死去。(2019年7月)

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