ディスカバー・ニッケイ

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広島訪問(英語)

(英語)広島に行きました。両親には米国に帰国する前に行くつもりだと伝えてあったので、それぞれの親戚の住所を送ってくれていました。広島に到着しました。広島に入る前から、町はただの平地になっていました。電車を降りましたが、駅はありませんでした。何もありませんでした。電車が止まる場所があるだけでした。それが広島駅でした。

私が行った時、広島はオーストラリア部隊の管轄でした。「降りて歩いて回りたければどうぞ。暗くなったら我々は探しに来ないから君一人になる」と言われました。電車を降りてすぐの場所に、建てられたばかりの木材の店がありました。話をしようと思って「ハロー」と言って店の中に入ると、予想に反して完璧な英語で返事が返ってきました。その女性は、「ツールレイクにいて、日本に帰ってきた」と言いました。何か探しているのかと聞かれたので、両親の親戚を探していることを伝えました。すると、「そこを曲がった先の建物に行くといい。警察がいるから」と言われました。電話ボックスのような小屋に警官がいました。住所を見せると、「そういう場所はもうここには存在しない」と言われました。それだけでした。私は広島を去りました。

この話には実は続きがあります。その後1ヵ月も経たないうちにオフィスのビルの受付から「ジミー、あなたを探している人が来ている」と言われました。「分かった。オフィスに通して」と言うと男性が入って来ました。普段着姿の男性は、「私はフクハラ・トクタロウだ」と言いました。驚くべきことに、彼は私が広島で探していた人でした!


広島市 広島県 日本

日付: 2015年2月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1921年9月21日、日系移民の両親、イチスケとウメ・フクハラの元にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる。1927年、ジミーの父は家族を連れてカリフォルニア州サンタモニカに移住し、種苗会社を起業。ジミーはサンタモニカ高校を卒業し、1942年に家族と共にマンザナー強制収容所に送られるまで父の会社で働く。

収容所から早期出所したジミーは弟のジョージと共にペンシルベニア州に移るが、その後60日以内に陸軍に徴兵される。陸軍情報学校に志願し、基礎訓練終了後に東京に派遣され、マッカーサー元師の総司令部(GHQ)の労働局で任務に就く。日本を離れる前、ジミーは両親の親戚を探すために広島を訪問。除隊後はサンタモニカに戻り、4人の兄弟と共に1986年まで種苗会社で働く。(2016年5月)

ウィリー・イトウ

両親(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

サワコ・アシザワ・ウチムラ

戦後日本へ送還(英語)

フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)