アイダホでのテンサイとじゃがいもの栽培(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)収容所ですか?ええと、収容所に入ったのは1942年でした。(1943年の)3月には兄弟4人で出ました。契約書にサインし、アイダホ州シェリーの農場に行くことになりました。テンサイの栽培、収穫もしました。じゃがいもも同様です。そして感謝祭には収容所に戻りました。ですから3月から11月まで行っていたことになります。

I*: みんなで決めたことだったのですか?兄弟みんなで?

ヘンリーが出たがっていたので、おそらく彼が父に「僕ら4人は収容所を出たい」と言ったのだと思います。1942年には父はダメだと言いました。でも、ヘンリーは外に出たがっていました。僕らが収容所に到着した直後の1942年当時から人手は必要だったのですが、まだ準備はできていませんでした。僕らは1943年に出所を希望し、その年に出ることができました。外の様子を知りたかったのです。

*I はインタビュアー(ジョン・エサキ)

日付: 2015年2月6日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

camps farming jobs potato farming sugar beet farming World War II

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


主な援助
日本財団