大恐慌を生き抜く(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)私たちの世代の人たちと話をすると、「君もそんな風に感じていた?」、「ああ、そうだね。当時は楽しかったし、よく遊んだね」というような会話になるんです。でも、ただ単に遊んでいたわけではありません。おもちゃは、木材や何かを使って自分たちで手作りしなければなりませんでした。自分で楽しみを見つけるのです。食事は1日3回とることができていました。マクドナルドのハンバーガーではありませんよ。そういうものはありませんでした。両親が苦労してやりくりしてくれていたことは分かっていました。今の家族もそれは同じですね。その日暮らしの生活です。雇われ仕事なら、週の終わりまで収入はないのです。

そのようなことは(お金が底を尽きることは)往々にしてありました。兄弟に教えられるまで気が付かない時もありましたが、母が近所の家に行き、2、3ドル用立ててもらえないかと頼んでいました。でも、「あの時の2、3ドルを今返してほしい」などと1、2週間後に近所の人が取り立てに来ることはありませんでした。近所の人も、必要な時に2、3ドル借りに来ていました。砂糖壺が空になれば隣の家から2さじくらい借りてくる、という昔の人の話と同じことです。それが実践されていました。それから近所のスーパーで頻繁に買い物をしていれば、店の人もいいよ、と言って払える日までツケにしてくれていました。

日付: 2015年2月6日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

Depression great

ここでは、オーラル・ヒストリーインタビューに必要な基礎知識をご紹介します。

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