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大恐慌を生き抜く(英語)

(英語)私たちの世代の人たちと話をすると、「君もそんな風に感じていた?」、「ああ、そうだね。当時は楽しかったし、よく遊んだね」というような会話になるんです。でも、ただ単に遊んでいたわけではありません。おもちゃは、木材や何かを使って自分たちで手作りしなければなりませんでした。自分で楽しみを見つけるのです。食事は1日3回とることができていました。マクドナルドのハンバーガーではありませんよ。そういうものはありませんでした。両親が苦労してやりくりしてくれていたことは分かっていました。今の家族もそれは同じですね。その日暮らしの生活です。雇われ仕事なら、週の終わりまで収入はないのです。

そのようなことは(お金が底を尽きることは)往々にしてありました。兄弟に教えられるまで気が付かない時もありましたが、母が近所の家に行き、2、3ドル用立ててもらえないかと頼んでいました。でも、「あの時の2、3ドルを今返してほしい」などと1、2週間後に近所の人が取り立てに来ることはありませんでした。近所の人も、必要な時に2、3ドル借りに来ていました。砂糖壺が空になれば隣の家から2さじくらい借りてくる、という昔の人の話と同じことです。それが実践されていました。それから近所のスーパーで頻繁に買い物をしていれば、店の人もいいよ、と言って払える日までツケにしてくれていました。


世界大恐慌、1929-1939

日付: 2015年2月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1921年9月21日、日系移民の両親、イチスケとウメ・フクハラの元にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる。1927年、ジミーの父は家族を連れてカリフォルニア州サンタモニカに移住し、種苗会社を起業。ジミーはサンタモニカ高校を卒業し、1942年に家族と共にマンザナー強制収容所に送られるまで父の会社で働く。

収容所から早期出所したジミーは弟のジョージと共にペンシルベニア州に移るが、その後60日以内に陸軍に徴兵される。陸軍情報学校に志願し、基礎訓練終了後に東京に派遣され、マッカーサー元師の総司令部(GHQ)の労働局で任務に就く。日本を離れる前、ジミーは両親の親戚を探すために広島を訪問。除隊後はサンタモニカに戻り、4人の兄弟と共に1986年まで種苗会社で働く。(2016年5月)

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ニッケイ物語 #13
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ニマの声
第16話
6月25日 18時(太平洋標準時)
6月26日 10時(日本標準時)
ゲストニマスピーカー:
スタン・カーク
ゲストホスト:
和泉 真澄
[言語: 英語]
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