人種別に分離された学校に通う(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)私の生まれは本当に貧しく、両親は小作人で住居は塗装されていない掘っ建て小屋でした。水道も電気もなく、トイレは屋外にありました。それでも私はそういう環境が普通だと思っていました。

小学校は5回か6回転校しました。最初に通っていた何校かは異なる学年の生徒が1つの学級で学ぶ複式学級でした。学校は社会的にも経済的にも孤立していました。小学校3年生の時に通い、落第しそうになった学校のあるサクラメント郡では、全ての学校が人種別に分離されていました。白人は白人の学校に行き、アジア系は――私の記憶では日系人のみで――中国系もフィリピン系もいませんでした。黒人は見たこともありませんでした。

日付: 2015年1月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: リリー・アン・Y・ウェルティ・タマイ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

442nd community school segregation veteran

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