(英語)私たちは、結婚式で誓いの言葉を交わしました。私は彼に、私の人生の素晴らしいパートナーでいてくれたことだけでなく、私の母を介護する上でもパートナーでいてくれたことに感謝しました。母はアルツハイマー病でした。本当に大変な、困難な病気です。母は自分のことは何もできなくなったので、私は母を呼び寄せ、一緒に住んでもいいかとブラッドに尋ねました。すると彼は快諾してくれました。私は胸を打たれました。
母が一緒に住んでいた期間、残酷で恐ろしく、そして辛いアルツハイマーの全段階において、私たちは母を看ていました。本当にひどい時期もありました。怒りの段階の後、無気力が続きました。テラスに腰を下ろし、ただ茫然と庭に目をやる母の姿に胸が張り裂ける思いでした。
最終的に母は入院しました。最初から最期まで、ブラッドは息子のようにいてくれました。彼は息子でした。母は最期までずっと、ブラッドのことはわかっていました。私の弟は母に会いに来ても顔を見る程度で、面会は短時間でした。いつも「アポイントがある」、と言って急いでいました。ある日、弟が帰った後、母はこう言いました。「あれは誰?」胸が張り裂ける思いでした。母は自分の息子がわからなくなっていたのです。それでもブラッドのことはわかっていました。本当に酷い、つらい病気なのです。ブラッドは最初から最期まで私を支えてくれました。
日付: 2015年2月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター