戦後、戦争中に父の収入が絶たれたし、それで空襲で家が焼けたんですよね。アメリカから持って帰ったいろんな財産なんかも全部もう無くなる。そうして父が持っていた農園とか田んぼとかは、不在地主で全部日本政府に没収、摂取されて、小作の人達にね、ほとんど無償という形で。
あの国際協定の中に戦争が済んだら、シビリアン(一般人)の財産は返すって。これは国際条約の基準がある。だから父は終戦を心待ちにしていた一つの理由は、アメリカのフリーズ(凍結)された、いわゆる親父の場合はスタック(株)とボンド(債権)ですね。これが返ってくれば、また戦争前みたいな、彼にとってはどうにか楽な生活が出来ると。
ところが、あのサンフランシスコの講和会議で日本の全権であった吉田茂が、アメリカ側が日本政府に対して何の要求もしなかったんですね。領土とか賠償金とか何にも取らなかった。非常に寛大な態度でアメリカが日本に接してくれたんで、吉田としては、じゃあアメリカにある在米日本資産は、全部アメリカ側に渡しますと。その中に、父の個人財産も含まれているわけです。だから、父は60にして、すべての財産を失ったわけですね。
さてそこで、じゃあシチズンシップ(市民権)を持っている僕がアメリカに帰ったらどうなるんだっていうことですよ。こっちにいたおばが、二世の弁護士やいろんな人に聞いて、チャンスがあるかもしれないからって。僕は父の財産を受け取ったら、帰って、日本でまた大学に行くつもりだった。その為にアメリカに帰ってきた。ところが、だめでした。結局お金もないし、ここでスタック、足止めされた形になって、僕のアメリカでの生活が始まるわけですね。
日付: 2012年1月31日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ、西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター