(英語)私が受けた初期の主要任務の1つは、ジミー・カーター大統領からのものでした。移民委員会が立ち上がり、数名の上院議員と司法委員会の議員、閣僚の代表者、そして4名の一般人がメンバーとして選出されることになりました。その中にアジア系のメンバーを入れたかったのでしょう。 電話があった時、私はユタ州でスキーをしていました。UCLAでクラスメイトだった友人が、「ローズ、ホワイトハウスから電話よ!」と私を呼びましたが、私は、「忙しいって言って」と言いました。 とにかく電話に出ると、「委員会に入ってほしい」というのです。私は、「第一、私は移民については何も知りません。相応しい人を何人か知っているから紹介します」と言いました。でも、「いや、君はもう任命されているので、来るように」と言われました。 私にとって、それは素晴らしい機会となりました。移民のことは何も知りませんでしたが、ワシントン、ホワイトハウス、米国議会の主要人物と繋がることができたからです。そしてその後、この頃築いたコネクションを賠償運動やマンザナール国立史跡認定のために長期にわたり利用することができたのです。
日付: 2013年7月17日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ショーン・ハマモト
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association