ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1298/

ストリート・レース(日本語)

(日本語)ラリーがゼネラルモーターズのスタイリング部門で仕事をしていた頃、彼はまだフォード車に乗っていました。自分で改造した50年代車でした。ラリーは、NASCAR(全米自動車レース協会)車で一般道を走っていたことになります。つまり、レースカーを日常的に運転していたのです。ある日、仕事からの帰宅途中に信号で停止した時、改造車に乗ったビル・ミッチェルが隣につけてきました。基本的にチーフデザイナーや上層部は皆、好きなように車を改造していて、ビルの車も相当チューンアップしてありました。そして信号が変わり、ラリーの車が完全にビル・ミッチェルの車を抜き去ったそうです。

次の日、ビルはラリーを呼び、「車を工場に持ってきてくれ」と言いました。ラリーは工場に車を入れ、ボンネットを開けて見せました。それは、基本的にレースカーの構造をしていました。ビルはこの時、ラリーを自分の部署で働かせたいと思いました。

ラリーを雇ったのは、当時のチーフデザイナーのハーレー・アールで、ビル・ミッチェルは、スタイリング部門長の1人で、ハーレー・アールの部下でした。このように、最初にラリーを雇ったのはビル・ミッチェルではなくハーレイ・アールでした。その後、ビル・ミッチェルがスタイリング部門長になった時、ラリーを一気に上まで引き上げたのです。そしてラリーは、当時彼らが呼ぶところのスタジオX、トップシークレットとも呼べる、コンセプトカーのためのスタジオのトップとなりました。当時の彼には素晴らしい名誉でした。


レースカー ラリー・シノダ ビル・ミッチェル ゼネラルモーターズ(企業) 自動車 自動車(motor vehicles)

日付: 2011年9月14日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アキラ・ボック

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ロン・クスミさんは、アナハイムの高校を卒業後、カリフォルニア工科大学ポモナ校で学位を取得し、その後、日産や三菱など、自動車業界で20年間働きました。ロンが有名デザイナーのラリー・シノダと出会ったのは、日産でアルミの合板ホイール開発プロジェクトに携わっていた時でした。ロンは、プロジェクトに関するラリーの簡潔なコメントを聞き、彼のスタイルと機能の神髄を見抜く目と非凡な才能に感銘を受けました。2人は、スポーツカーへの情熱を共有する友人となりました。ロンは、過去15年に渡り、カリフォルニア州ロングビーチで独立系撮影所を経営し、ケーブルテレビのための番組の構成、プロデュース、監督をしています。(2012年9月)

グレース・アイコ・ナカムラ

収容所でラリーが椅子をデザイン(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

グレース・アイコ・ナカムラ

ラリーの釣りの腕前(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

グレース・アイコ・ナカムラ

ラリーの危険なカーレースに対する母の反応(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

グレース・アイコ・ナカムラ

ラリーとクリントン大統領(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

グレース・アイコ・ナカムラ

コルベットの殿堂(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉