(日本語)ラリーは、絵を描くことが大好きでしたが、相当量の物作りもしていました。彼にとって絵を描くことは、物作りの副産物だったのでしょう。もともと彼は車に触れていたので、それに伴い絵も描いていたわけですね。
ラリーは、自身の若い頃について、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインのこと以外は語りませんでした。というのも僕が、車で有名な大学、つまり、自動車デザイン科に定評のあるアートセンターにすごく興味があったからです。そして、ラリーがこの学校を退学処分になっていたことにも非常に興味をそそられました。おそらくラリーは、最も有名なアートセンター中退者でしょう。
I*:なぜ退学処分になったか、ラリーは話しましたか?
そこまで突っ込んだ話は聞いていません。主な理由は、溶け込めなかったということでしょうね。それは、ラリーの人生全般に言えることだと思います。常に輪の外に居て、それが深刻な問題を招いたのでしょう。退学の本当の理由を聞いたことはありませんが、周囲に溶け込むことができなかったことが主な原因でしょう。
* ”I” はインタビュアー(アキラ・ボック)
日付: 2011年9月14日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アキラ・ボック
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター