ディスカバー・ニッケイ

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「ミーティングに行っていなかったら…」(英語)

(英語)エド・カキタさんとローズ・オチさんは、当時、知事の任命担当秘書だったJ・アンソニー・クライン氏、トニー・クライン氏に会うためにサクラメントへ行く計画を立てていました。現在クライン氏は、サンフランシスコ控訴裁判所の裁判官です。彼らの目的は、裁判官になる準備のある、意欲的かつ能力ある日系人弁護士を裁判官に指名してくれるよう強く推すことにありました。直前にローズが行けなくなり、私はエドに一緒に行きたいかどうか聞かれ、行くことにしました。 私は、その時の面会で(初めて)トニー・クライン氏に会いました。私たちは、裁判官に任命、または昇格されるべき人たちの話をしました。ジェリー・ブラウン知事は、マイノリティを裁判官へ任命することに強い関心を持っていると、クライン氏は言いました。彼らは、州内で適任者を探しているところでしたが、あまりうまくいっていないということでした。当時は、市の裁判所と高等裁判所がありましたが、市の方で裁判官になるには、弁護士として5年の経験が必要で、高等裁判所の方は、10年必要でした。資格があったとしても、裁判官になることに興味がなければ人は見つからないということでした。私にとって、この話は大変興味深い新事実でした。 また、この話を聞くまでは、裁判官になろうなんて考えたこともありませんでした。私は、今後任命される機会があるかもしれないと思い、裁判官に申し込むことにしました。あの時ミーティングに行かず、会話に参加していなかったら...エド・カキタさんも、私の背中を強く押してくれていました。


カリフォルニア州最高裁判所 法律 裁判官

日付: 2012年7月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ローレンス・ラン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

キャサリン・ドイ・トッド判事は、1942年1月14日、フランクリン・D・ルーズベルト大統領による大統領令9066発令の1か月前に生まれました。大統領令の発令により、彼女と彼女の家族は、ワイオミング州ハートマウンテン強制収容所と北カリフォルニアのツール・レイク強制収容所に収容されました。

第二次大戦後、一家はロサンゼルスに戻り、トッド判事はロサンゼルスで育ちました。彼女は、1959年にロサンゼルス高校を卒業し、スタンフォード大学へ進み、1963年に史学部を卒業しました。その後、ロヨラ法科大学に進学した判事は、1970年、法学位を取得しました。

トッド判事の弁護士としてのキャリアは、ロサンゼルスのリトル東京で個人弁護士事務所を開業したところから始まりました。当時、ロサンゼルスで働く日系アメリカ人女性弁護士は、3人しかいませんでした。1970年代中頃、トッド氏と数名の日系アメリカ人弁護士は集結し、日系アメリカ人弁護士協会(JABA)を立ち上げました。JABA立ち上げ当初の主な目的は、日系人の裁判官を増やすことにありました。

1978年、ジェリー・ブラウン州知事は、トッド氏をロサンゼルス郡裁判所裁判官に任命し、トッド判事は、アジア系アメリカ人女性初の裁判官となる栄誉を受けました。3年後の1981年、ブラウン州知事の任命により、トッド氏はロサンゼルス高等裁判所の裁判官に昇進しました。2000年、トッド氏はグレイ・デイビス知事の任命を受け、カリフォルニア第2区控訴裁判所第2部の陪席判事となり、現在に至ります。(2012年7月)

ロレイン・バンナイ

「生涯をかける訴訟」に携わったこと (英語)

弁護士(1955年生)

ピーター・アイロンズ

動かぬ証拠の発見 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

ピーター・アイロンズ

コレマツ裁判の終結 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

ピーター・アイロンズ

学ぶべき教訓 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

ローズ・オチ

ホワイトハウスを待たせる(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

法律分野における日系の先駆者たち(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

「かごの中の鳥・・・」(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

マンザナールの保存と水道電力局(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

A. ウォーレス・タシマ

優等生ではなかった(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

「個人の法律事務所には決して就職できなかった」(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

文化人類学から法学への転向(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ホリー・J・フジエ

ソニア・ソトマイヨール米最高裁判事の後押し(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミア・ヤマモト

刑事弁護士になる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士