(英語)私は、家族と共にサンタ・アニタ競馬場(集合センター)へ、次にワイオミング州のハートマウンテン、そして北カリフォルニアのツールレイク収容所に収容されました。私はまだとても小さかったので、いくつかの体験に関する限定的な記憶しかありません。覚えていることはほとんどありませんが、家族が収容所から戻った時の全体的な環境や、皆が経験した困難な時代、戦後学んだこと、強制収容について口を閉ざす雰囲気など、思い起こすことができます。人々は、「収容所以前」と「収容所以降」という呼び方をする以外には、――物事は常に「収容所以前」か「収容所以降」いずれかの領域にありました――強制収容についてほとんど語りませんでした。でも、皆何かを感じていました。もちろん私もそうです。強制収容の体験は、日系人であるというだけの理由で排除された、私の世界観に重大な影響を及ぼしていると思います。両親も私も、アメリカ市民だったのです。私の考え方は、この経験に、確かに影響を受けました。
日付: 2012年7月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ローレンス・ラン
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association