日本人病院への思い出 (英語・日本語)

日本人病院への思い出 (英語・日本語) 日本人病院の閉鎖 (英語・日本語) 若さの秘訣 羅府新報を始めた父

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語・日本語)あれは1917年だったと思います。スペイン風邪が世界中に蔓延してました。だから、日本人のドクターたちは、日本人のための病院を開こうと決めたんです。

私はロサンゼルスで生まれました。この古い病院のわりに近いところで、生まれたんだそうですけど。古い家でした。うちは、北側にあって病院は西に面してました。それであまり関係が無くて、何が病院で起こっているかわかりませんでしたね。 

ドクター・タシロが一番ニューホスピタル(新しい病院)を建てる時にリーダーだったのじゃないかと思っているんですけど。

私が一番覚えているのはベイビードクター(小児科医)ですよね。イトウ・キュウジドクターね。ケンとキョウコがよく風邪を引くのでね、冬になると、ドクターのところへよく連れて行きましたから。

あれは確かケンが生まれたときだったと思うんですけど、病院にいたんです。その時ビック・アースクウェイク(大地震)があったと思うんです。一人の中国人の患者さんが手術をしたんですけど、地震がおきたときに、(びっくりして)廊下を駆け出してました。

あれは、1933年だったかしら。 ナース(看護婦さん)は皆良くてくださったから、そう云うほうでは良かったと思うの。ニュー・ホスピタル(新しい病院 )はやはり色々ニュー・イクイップメント(新しい設備)があるので、良かったんじゃないかと思いますけど。

日付: 2010年2月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: エイコ・マスヤマ、キャロル・フジタ、西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

japanese hospital little tokyo

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