ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1153/

パラグアイからのデカセギ者の現状

デカセギっていう言葉なんですけど、皆さん働きに来られて、日系人としての、日本語が自分達のパラグアイの移住地では、大事にしておりましたので、パラグアイから来る、働きに来るパラグアイ人の人たちは、結構日本語が十分に話せるっていうことで、仕事場でも非常に評価されている。しかし、奥さんとか旦那さんがよくパラグアイ人と結婚されてますので、そういう方が今度言葉では非常に不自由をしたり、習慣だとか、やっぱり日本人としての、やはりこう中での生活の問題点。一番やはり大使館に申し出られるのが、やはりこうした経済的な問題によって、まぁリストラされたり、行くところがないとか。そういう現状は、やはり大使館にも今流れてきてますよ。はい。

タイプによってはですね、帰られたほうがいいんじゃないだろうかというタイプと、やはり日本語が十分で、職場を変えてでも勤められるっていうタイプの働きに来られてる方々に対しては、やはり考えて、辛抱しながらでも、えー時間が、採用時間が減ってでも、やはり景気の戻る機会をもう少し待つべきではないだろうかと。また、ある程度もうすでに日本で数年、まぁ5年、10年って生活してて、蓄えている預金がある人は、一時帰ってパラグアイで生活をしながら、また日本の経済がよくなるのを待とうと、っていう方で、帰られる方が相当今おられますね。はい。


日付: 2009年3月24日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アルベルト・松本

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1943年徳山県三好郡生まれ。14歳のときに、パラグアイのラパス移住地へ入植。農業へ従事する傍ら、ラパス農業協同組合組合長、パラグアイ日系農業協同組合中央会会長、パラグアイ国農業協同組合連盟監事および理事などを歴任。87年にはパラグアイ国家功労賞勲三等を叙勲。1992―96年、2002-03年にかけて、ラパス市の市長を務める。2004年、日本生まれの海外移住者で初めて駐日大使として就任し、2009年10月まで務める。(2009年12月)

セリア・オオイ

日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

ドリス・モロミサト

日系人のペルー社会への融合 (スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

恩智 敏子 エレナ

デカセギ者としての移動によっておこる家庭崩壊(スペイン語)

在日日系ペルー人

パウロ・イサム・ヒラノ

デカセギに来ていた父に呼び寄せられ日本へ移住

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

日本に移住して苦労したこと

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

デカセギから定住へ

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

アントニオ・シンキチ・シコタ

リーマンショック以降の日系コミュニティの変化(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

工場労働者から自分のビジネスを持つまでの道のり(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

ファン・アルベルト・松本

日本在住の日系人をサポート

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)