(英語)父の裁判、確かサンタフェだったと思いますが、での出来事について、僕はワシントンDCに抗議の手紙を書きました。当時、日系二世のほとんどが強制収容所に収容されていたので、運悪く通訳がいなかったのでしょう。父の通訳は韓国系の人でしたが、通訳としては日本語が未熟な韓国系の人しかいなかったのです。彼女に悪気が無いことは分かりました。証言をする父の横で、彼女は英語にも日本語にも苦労しているようでした。 僕は、父の証言が正確に訳されていないことがわかり、怒りを感じました。それで、ワシントンDCに手紙を書き、公聴会の記録の写しをくれるよう頼みましたが、入手できませんでした。僕は、通訳が全く見当違いのことを言っているのだから、こんなのは不当だと書きました。
僕はその手紙を、エドワード・エニス氏に送りました。確か彼だったと思いますが、エニス氏は手紙の受領を知らせてくれるだけで、起きたことについては何も触れませんでした。 僕は何も言うことはできませんでしたが、裁判でのやり取りは全て聞いていました。そして僕は、初めて父が涙を流すのを見ました。そんな父を見るのは初めてでした。僕はいつも父は侍のようだと思っていました。しかしながら、その時の父はすっかりやつれた様子で、僕は本当に怒りを感じるようになりました。
日付: 2005年3月25日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ソージン・キム
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター