ディスカバー・ニッケイ

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パイサヘ・テレストレ(スペイン語)

(スペイン語)「パイサヘ・テレストレ」は私が17歳の時に考えた方針、戦略の一部なのです。あの時に自分なりに一つの生き方を考えたのです。私は11人兄妹の一番下の姉妹なのです。私だけが片道二時間かけてリマのサンマルコス大学に通い法学を学んだのです。それも6年間も。弁護士になったのですが、初日からこの仕事は好きになれませんでした(笑)。 でもその時何を勉強しても私にとって大きな違いはないと思ったのです。私は、色々なことを読み、色んな人と会い、ペルーを知ることが主な目的だったのです。そのことを大学で得ることができたのです。 17歳のとき定めた目標と計画ですが、それに沿って今まで歩んできたのです。多分、日本人の子孫だからこそ出来たことだと思います。一つのことを継続するということは親から伝えられた要素だと思います。でも、私は忍耐強くもなく、あまり我慢しないタイプなのです。


ハワイ アメリカ アイデンティティ 文学 日系 日系アメリカ人

日付: 2008年2月26日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

ドリス・モロミサト・ミアサト氏は、1962年ペルー、リマの農村部であるチャンバラで生まれました。法学と政治学の学位を取得し、国立サンマルコス大学を卒業しました。

ミアサト氏は、詩集、『Morada donde la luna perdió su palidez』(1988年)、『Chambala era un camino』(1999年)、『Diario de la mujer es ponja』(2004年)、『Paisaje Terrestre』(2007年)を出版し、2006年には、書籍、『沖縄 : ペルーにての1世紀』を出版しました。ミアサト氏の詩やショート・ストーリー、エッセイ、記事は、様々な選集に収められており、多言語に翻訳されています。

ミアサト氏は、自らをエコロジスト、フェミニスト、仏教徒であると語ります。2006年、沖縄県は、ミアサト氏を親善大使に任命しました。最近では、ディスカバー・ニッケイ・ウェブサイトのコラムニストも務め、2005年からは、「Cámara Peruana del Libro」の文化担当としてブックフェアを開催してきました。(2008年2月26日)

ボブ・キヨシ・オカサキ

渡日に対する決断に祖母の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

マサカツ・ハイメ・アシミネ・オオシロ

幸福のために可能な選択も... (スペイン語)

ボリビア元駐日大使 (1958-2014年)

飯野正子

日系人とは?

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日系人から学んだこと

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

ジェームス・ヒラバヤシ

ニックネーム (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

前後関係・時代背景の織り成す意味 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

スティーブ・カジ

FOB - 新参者 (英語)

ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

マイク・シノダ

日本への親近感(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

PJ・ヒラバヤシ

太鼓から感じる力強さ(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

太鼓を通して感じ一世と三世のつながり(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

アキラ・ワタナベ

日系人だということは文化の融合である (スペイン語)

ペルーの琉球祭太鼓のディレクター(1974年生)

アン・K・ナカムラ

アメリカのイメージ(英語)

ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。

ボブ・キヨシ・オカサキ

子供時代の日本の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)